下着泥棒するくらいならパタヤーに来てよ、おじいちゃん!

恥ずかしい話だが、高校生のとき憧れていた同級生の脱ぎっぱなしの体操着の匂いを嗅いだことがあった。

匂いや香りは脳幹に近い部分に作用する重要な要素だから画像などより何倍も強い刺激となる

この下着泥棒のおじいさんの気持ちもわからなくはない

年齢的には常識を通り越して、厳格とも思える規則のなかで生きていた年代のはずだ

それがこともあろうにこのような行為に至るとは

このおじいさんがゲイであったのかどうかは不明である

単に世間を騒がしたかったのか

加齢で感覚が狂ってしまったのか

どうでもよくなったのか

極度にストレス溜まっていたのか

この人の人生を細かく調査したわけでもなく、話を聞いたわけでもないが

すべての事象に原因と結果があるように

何の原因もなく、このようなことが起きるとは思えない

その背景には本人でもコントロールの利かない事情があったに違いない

そういった事態をもたらした原因のなかにきっとストレスはあるのだろう

ただでさえ生き辛い世の中だ

成人男性の下着にファンタジーを求めてもそれを単純に

変態の犯行と片付けてしまえるほど簡単ではないように思う

この事件の奇異さというよりも悲しさを感じる

タイ在住の私としては

パンツ盗んで晩節を汚すくらいなら

「オトコのパンツなんか通りでいっぱい見られるよ~」 の

パタヤーに来ていただきたかった

ここなら血気さかんな若者が

堂々とゴーゴーの舞台で

パンツ一丁で踊っているのだから

いまにもパンツを盗みたい気持ちの方はこちらからご相談ください

==============================
<オリジナル記事>はこちら

岩手県奥州市で16日夜から開かれた「蘇民祭」で、男性の下着を盗もうとしたとして、岩手県警水沢署は17日、大和町吉岡、無職、 宍戸次夫容疑者(72)を窃盗未遂容疑で現行犯逮捕した。同署によると、宍戸容疑者は「(男性の)パンツが欲しかった」と容疑を認めているという。

 逮捕容疑は同日午前4時35分ごろ、奥州市水沢区の黒石寺の祭り会場内にある待機所で、
同市胆沢区の地方公務員の男性(33)の下着や衣類などが入ったリュックサックを盗もうとしたとされる。

 蘇民祭は下帯姿の男衆が護符を奪い合う勇壮な祭りで、同署によると、待機所は参加者の着替えや荷物の置き場になっていた。
半裸の参加者たちの中で、服を着たままの宍戸容疑者が荷物に手をかけているのを男性の知人が目撃し、
取り押さえた。宍戸容疑者は近年は毎年のように、祭りを見に来ていたという。

 同署は「蘇民祭での下着泥棒はこれまで聞いたことがない」と話している。【安藤いく子】

出典: 毎日新聞 2月18日(月)10時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130218-00000045-mailo-l04

==============================

いわゆる人間関係のケアを怠るとどうなるか?

いわゆる人間関係のケアを怠るとどうなるか?

残念ながら、人間関係は厳しい局面を迎えざるを得ない

人間関係のケアとは何だろうか?

個人の場合は友情とか人間関係のメンテナンスである

定期的に電話をする、メールする、会う、話すとかいったことである

ときには食事をしたり、飲みに出かけたり

恋人同士の場合はそれにプラスアルファが加わるのである

われわれ業者の場合は「顧客ケア」である

定期的にメールを送ったり、季節のご挨拶をしたり、プレゼントを送ったり

ラブコールのメールを送ったり、また来てねと誘ってみたり

これを怠ると通常の顧客は自分が重要視されていないと感じ

自然と離れていく、もしくは不満を感じるようになる

特に会員制顧客の場合は、定期的な連絡がないと疎外されているような気持ちになる

こう考えると、日常の人間関係は契約のない心的ケア関係のようなものだ

どちらかがケアを怠ればそれは人間関係の希薄化につながり

関係を維持できなくなる

コミュニケーションをまめにできる人間はうやらましい

そういったことをそつなくこなせつように見えるからだ

だからといってやたらめったらメールできる人間がすばらしいわけではない

要らぬメールは単なる愚痴であったり、聞きたくもない批判だったりする

一方で、あまり定期的な連絡を必要としない人々もいる

こういった人々は風のように生きていて

そんなに頻繁に連絡をもらわずとも生きてゆけるようである

だからといってずっとほっておいてもいけない

年に1回とか2回とか

年賀状のような感覚で連絡してあげるのがよい

私のこと忘れないでね、いつまでも友達よ、と言われれば

普段そっけない人であっても

そういった連絡は案外とうれしいのである

最終的に人間は、メールでつきあうのではない

人とはその漢字の通り 支え合って生きていかねばならない

必要なとき、実際に会って話をし、相手の悩みを聞いてやり

激励してやり、協力者となることができなければ

関係は保たれないだろう

そんな努力していますか?

ご質問お問合せはこちらから