本当のリア充はひっそり暮らしている?

リア充という言葉そのものに胡散臭さを感じる私だが、いわゆるリア充という人々はどのように暮らしているのだろうか?

 

きょうはブログなどで見られるリア充の本当の姿に迫ってみたい。というかリア充を偽装している人ってどんな人?

などについて考えてみたい、と思う。

 

 

そもそもリア充というのは、ウィキペディアによれば、リアル(現実)の生活が充実している人間を指す2ちゃんねる発祥のインターネット造語だそうだ。

 

リア充というのは、現実生活がうまく行っている人(うまく行っている? 何を基準にそんなことを言っているのか、怪しいが)のことを指すらしいが

ネットやブログで書かれている事柄が、真実なのか、あるいは偽物なのか、

というのは外部からは非常に見分けにくいものである。特にブログの作者が海外に住んでいる場合は・・・

書かれていることが事実かどうかなど、調べようがないのである。(取り敢えず、信じるしかないのである)

 

というのは、昨今のネット世界では、それらしき写真はどこからでも拾ってこられるし、風景も食事もはたまた仲間たちも、それらしきものを簡単に偽装できるからである。フォトショップなら写真の加工もできるそうだから。

 

テレビドラマのセットではないが、あなたのリア充を演出するため、サポートしてくれる業者までいるそうだ。当然、金は取られるらしいが。

 

ところが、ブログなどで、正真正銘の本名や身分を明かしている人はどれくらいいるだろう?

(ブログを商売に利用している人は除く)

そんな人いるわけない!(この時代誰だってペンネームやニックネームを使うのだ)

 

 

ただ、私(ひでき)が在タイ15年間で観察してきた限り、次のようなことに相関関係があることがわかっている。(かなり長いので、お時間のある人だけお読みください)

 

◆◆◆本物のリア充はどう暮らしている?◆◆◆

◆本物のリア充はブログなど書かない、そもそも書く必要がない

◆本物のリア充は私生活・日常生活を公表したがらない(ひっそり暮らすことを望んでいる)

⇒なぜならそれで十分幸せだから

◆ブログを書いていても顔出ししない、写真をアップしない、出かけた観光地、良く行くレストランや高級な料理、自己所有物などを必要以上にアップしない

⇒芸能人とちがい顔出しして儲けようとは思っていないし、その必要もない

⇒自分の地位、身分、収入などを臭わせるようなことを書きたくないし、その必要もない(そもそも自分は小さき者だと思っている、そういう人に限って実の大物が多い)

結論として、本当のリア充は私生活を第三者にお知らせするつもりなどさらさらなく、その必要もない。むしろ、そういう行為を軽率または危険、愚か、価値なしと感じている。

本当のリア充は、世間の厳しさをわかっているし、生半可な人生を送ってきてはいないので、自分自身に厳しさと強さをもっている。いざとなったら実践で戦える強さも持ち合わせている。

さらに本当のリア充は、ブログで食べているわけでもないし、お金や人生に不満もない。健康であり、人間関係にも不満はない。ただ生きているだけで幸せだし、今生きていることそのものが幸せ、なのだ。

そういう人の周りには、自然と人が集まってくるし(カネで集まってくるタイの輩とはちがう)いつも明るい話題が渦巻いている。

現実生活が充実している、というのは、外見からは見分けがつきにくいものだが、いつ見ても楽しそうに振る舞っている人、ブログを書いていても、いつも楽しい記事や嫌味のない文章を書いている人は、きっとリア充なのだろう、と思う。

パタヤー沈没組に生きる道はあるのか?(パタヤーなんてずーっと居る街じゃない)

あまりに侮蔑的な内容なので許してください!

と思ったが、このところ強く思うことがあったので思い切って書かせていただいた 

ずーっとパタヤーでバカンスしてるんじゃない!

パタヤーなんて長く居る街ではない

急な山を登りつめて頂上に腰をおろす旅人は、
ほっと一息いれるのが限りない喜びであるが、
もし永久にそうやって休息していろと無理じいされたら、
彼は幸福であるだろうか。

─ スタンダール ─ (『赤と黒』)

人の生き方、さまざまで、どんな風に生きてもいいのかもしれない

それこそ他人の人生に、口出しなんてできないものだが

 

きょうはあえて言わせてもらう

 

 

私(ひでき)自身を含め、正式な意味で、いわゆるリタイア年齢に達していないにも関わらず、パタヤーに長居している人間は多い、日本人も多い、特に男性である

 

パタヤーにおける長居とは、長患いのことであり、それが本来の病気ならまだ回復の見込みもあるのに、この病気にかかると治る手立てもなく、ただ漠然と日々を過ごすようになるのである

 

 

私はこれらの人々を【パタヤー沈没組】と呼んでいる

 

 

なぜ沈没かというと、文字通り、沈没するとは、船が海の底に沈むことであり

もう浮かんでくることが不可能な状態を言うのである

 

 

人間に当てはめれば、再起不能、精神が大きく損傷し、現実社会に復帰することができず、ずっと埋もれたままの人間

エンジン(動力源)が故障(破壊されて)してしまっているので、前へ進むこともできない

そんなどうしようもない状態にある人間を言うのである

 

 

沈没組とは特に30代後半から40代後半にかけての世代である

 

要するに働き盛りの年齢層である

 

 

学校を卒業して社会に入り、社会人をひと通り経験した人間なら、誰でもひと休みしたい、とは思うものだ

(それはわかる!いまの日本、閉塞感がいっぱいだものな、息苦しいと感じるのもわかる)

 

 

 

そんなとき「タイにでも行こうかな・・・」と考え、うっかりタイへ足を踏み入れてしてしまったのが運のつきというもの

 

たまたま訪れたパタヤーにハマってしまい、気がついたときにはリピーターになっていた、というのがよく聞くきっかけのストーリーである

 

 

 

リピーターになった、というと聞こえは良いが、要するに中毒になったのである

 

パタヤー中毒とは、それなしでは生きられない、という依存症のことであり、立派な心の病気である

 

 

いわゆる食欲や睡眠欲などの生理的欲求とちがい

それを止めたからといって死んでしまうわけではない

 

だが、たった数か月あるいは数週間、このパタヤーという麻薬から離れていると

禁断症状が出始め、居てもたっても居られなくなるのである

 

 

 

良識ある社会人は、それでもなんとか己を奮い立たせ

理性を総動員させて、この中毒症状を断ち切り、なんとかまともな社会人に戻ろうと日本へ帰ってゆく

だが、沈没組はそれでもタイに居続けるのだ

 

めでたく日本に戻れた社会人でさえ、パタヤーを恋しく思うらしい

 

 

そういう人は帰国後、2週間もしないうちに、あのパタヤーでの、怪しくも輝いていた時間を思い出したりする、のである

 

これを読んでいる読者がそのような気持ちに共感できるなら

タイ病の兆候があると言えよう

 

でも、あなたが日本に暮らしているのなら

まだ、沈没組ではない

 

あなたの経済的基盤は、日本にあるからだ