ミクシー、つながり求めて泣き叫ぶ声

久しぶりにミクシーの日記というものを見たが


日本人の孤独はここまで来ているのか、という感じで恐ろしくなった



ミクシーは


孤独という海に溺れかけた人々の


泣き叫ぶ声の集まりだ




誰とも言葉を交わさず


触れ合わなくなった人々の


最後のもがきが聞こえる



それは声を出すことを許されない孤独な病人たちの最後のノートなのだ


電気的な言葉の掛け合いに生身の接触は全く感じられない


非常に薄っぺらな会話のやり取り


よくこれで我慢できるな、とオレは思う



見た目の写真や文章はとてもきれいで


あたかもそこに体温や血流があるように見えるが


そこは色と文字だけの世界で


現実には何もない

誰もお前のことを思ったりはしてない

どうしてこんなひどい時代をわれわれは作ってしまったのだろうか?

これがわが国が目指してきた結果か?


こんな風になるためにわが国は頑張ってきたのか?




この底なしの孤独を誰が解消してくれるわけ?


日本ご自慢のテクノロジーか?


(少なくともハイテクのロボットがその代わりをするとは思えない)



そうそう思い出したことがあったんだ


会社を辞めよう、この国を出よう、と思ったその日のことを


もう7年も前のことになるが・・・



俺は会社(といっても学校だったが)の同僚のイギリス人が


生まれたばかりの赤ん坊を職場に連れてきていた


俺と数人のスタッフはその赤ん坊に見入っていたが


当時、出世を目論んでいた女のスタッフは、(当時おそらく独身で子どももおらず結婚も諦めていたのだろう)


赤ん坊をあやすことに夢中になっていた俺たちを睨みつけ、



”あんたたち、なんて無駄な時間を過ごしてるの・・・さっさと仕事に戻りなさいよ”


という態度で前を通り過ぎていった


命溢れる赤ん坊を見ても何も感じないとは


もう彼女はすでに人間ではなかったのだ


自然の生き物とは異なり


乾燥した錠剤を飲んで生きているような化け物だったのだ



ああいう人間がすでに10年も20年も前から存在していたんだ


仕事人間、キャリアウーマンと言えばかっこいい


が、要するに ガソリン飲んで動いている機械と同じだ



一時期もてはやされるが

時代の要請が終わればポイと捨てられる



マシンのような人生を


ずっと正しいと信じて生きている



そんな人間を作ってきたわけだよ、この国は


そんな人間の帰宅後の楽しみといえば


パソコンつけて、ミクシー



囚人みたいな生活だな、とオレは思う



人間らしさのかけらもなくなった文字打ち機で


こんなことを書いては発表している



みんなに見てもらいたくて


●ボクはきょう○○を食べました


●アタシはきょう○○に行ってきました


ちょうど幼稚園児が母親にきょうの出来事を話しているような感じに見える

画面の向こう側の得体の知れない誰かに話しかけなければいけないほどの激しい孤独があるくせに

内面の自分をだましてなお我慢を続ける日本人たち

耐え切れない孤独を内面の自分は知っていても、もう涙すら出なくなってしまった日本人たち

これじゃおかしくならないわけがないよ

あるときマザーテレサは言ったそうだ

「微笑まない、触れ合わない、それこそ貧困です」



いま日本は、アジアで最も清潔なサイコの国


アジアで最も時間と人情の貧しい国になってしまったように思う


すごいね


これが経済を発展させた原動力なんだとさ


こんな国で1つだけ確かなことは



明日も間違いなく孤独でいられることだよ


すごいね


人間ガラパゴスならではの特典だね!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です