作者の紹介

自己紹介

気弱な私は40歳まで日本で「世間にあわせる」生き方をしていました (それが正しいと思っていたのです)

・・・でも いつも気分がよくなく、イライラしていました

・・・この人生、何かが違うのではと、いつも思っていました

40歳になったとき私は・・・・ある恐ろしい【事実】に気がつきました

われわれのほとんどが【柵の中で飼われている】ということに

家畜と同じように社会から【監視されている】ということに・・・

この世界が

【奴隷同士】が逃げまいと互い【監視しあっている世界】だということに・・・

テレビ、新聞、世間、社会、親、会社の上司などはこう言います

「自分の好きなように生きてはならない!」

そしてゲイなら

「男が男を好きだなんてことはおかしい!!」

そんなことを言われてきました

本当にそうだろうか?とずっと思ってきました

記録を調べてみると

われわれは長い歴史の中で
支配者に都合の良いように
個性を消され、教育されてきたのです!!!

【支配者に忠実なものだけが昇給し、たくさん飯を食える】

そんな風に

【刷り込まれ、教え込まれてきた】のです

でも、本当は違うんだってことに気がつきました

自分が自分らしく生きることは間違っておらず
そのために人生はあるのだと気づきました

そのことに気がついたとき、私は愕然としました

あなたは・・・
一回きりの人生を 自分らしく生きていますか???

この世に生まれたからにはあなたは

【華々しく生きていいんです!】

【男が好きでも、何が好きでもいいです!】

【オカマでもホモでもニューハーフでも何でもいいんです!】

【どこに住んで、どんな仕事をしてもいいんです!】

そう思いませんか?

とにかく自分自身の人生を真面目に生きていれば
幸せはやってくる

逆にそうしていないと不幸な人生になる

そして自分と他人、日本と世界のために

一生懸命に生き

人の役に立つことをすれば(いやしなくても)

それで金持ちになれるし 、幸せにもなれるんです

いやいや、あなたは生きているだけでも価値があるんです!
そう、ただ生きているだけでも価値があるんです!

私たちはみな創造主というか神から愛されています
だからこの世に生まれるのを許されました

おかしなことに、私は・・・日本という国を離れて

初めて 自分が間違っていないことに気がつきました

今後は
私と同じように悩み苦しみ
本物の自由を探そうとしている人のために
そういう人をひとりでも多く救うために

残りの人生を使うことにしました

とにかく、あなたに
【世間に飼われる人生】=>【自分で歩く人生】
に変わっていただくために

人生の醍醐味とスリルと喜びを
味わっていただくために・・・

私の時間

残りの時間を捧げることにしました

気がついたときには、オーストラリア行きの飛行機に乗っていました
その飛行機が日本との別れの便になりました


・・・・・・・・・・タイに来るまでのヒストリー・・・・・・・・・・

40歳の記念に彼氏と1年間の世界旅行に出ました。最後にたどりついたのがタイ。自分らしさにこだわった結果、ここで起業することに。悩んだこともありましたが、いまはゲイであること誇りにして商売しています。みなさんゲイであることは贈り物だと思いませんか?性指向に関わらず自由人の魂をもった人と友達になりたいです。

【プロフィール】

♪海は広いな大きいなの歌の通り、行ってみたいなよその国、ならよその国へ本当に行ってしまおう、と本当に日本を出てしまいました!

気は優しいが頭は馬鹿、「みんなと同じ」が嫌いで小学校から高校まで反対意見ばかり述べ、いじめの対象となる。いじめを受けても自分が正しいと信じ行動する。最後はいつも笑って卒業。

18歳、いじめっ子をいじめるため中学校教員(英語)を目指して外国語大学に入学する。すぐに最初の彼氏ができ彼氏の家に入り浸りになる。

19歳、最初の彼氏とヨーロッパを回る。初めて外の世界を知り、衝撃を受ける。

22歳、教員免許取るが、日本のあまりに画一的な教育システムは世界から立ち遅れていることを確認した。親の手前、教員試験に臨んだが、白紙で回答した。

遊び過ぎで大学4年次に留年、無駄にした1年を取り戻そうとアメリカで暮らすために半年で単位を取得、卒業までをロスアンゼルスで暮らす。自由な雰囲気を感じて帰る。

卒業後、日本の会社に就職するが上司に食ってかかり、1年もしないうちに退職。

その後1ヶ月かけてアジアひとり旅、タイ、香港、台湾などを回る。

くさい、きけん、きたないでタイ嫌いになった。特にパタヤーに行ったときは、高熱を出し、辛いタイ料理に下痢をし、売春街のネオンに嘔吐し、ここは世界最悪の場所と思い、二度と戻るまいと決意。

24歳から専門学校教員としてコンピュータプログラミングを教える。バブル期で朝6時から夜11時まで働く。たまたま休暇で夏のカナディアン・ロッキーを訪れ、森と湖、リラックスした雰囲気に感動。

帰国後、カナダ移住を決意し即、大使館に移民申請するが却下される。あきらめず27歳でワーキングホリデービザを取得し渡航する。

バンクーバー英語学校の広報部長や毛皮屋のマネージャーなどをつとめ、29歳で正式就労ビザを取得、ナイアガラの滝の前で仕事を始めるが、両親の病気により帰国。

帰国後、外語専門学校で教員となる。労働組合の通訳として外国人教員を支援する。はっきりモノ言う姿勢に経営者から敵視され34歳のとき解雇される。

正当な理由なき解雇は違法とし経営者を即日提訴、6年半にわたる法廷闘争の末(*)、東京地裁、東京高裁にて勝訴、復職を勝ち取るがあっさり和解の形で解決金をもらい、その金で愛する彼氏と世界旅行に出かける。(*その間は東京アメリカンスクールに勤務)

2003年10月よりオセアニア、アジア、ヨーロッパの好きな国で好きなだけ暮らす。ただし、かなり退屈する。

2004年なぜか2度と戻らないと誓ったタイのパタヤーに戻り、現地法人を設立。ありのままの自分を表現できない人々を救うことを決意。迷い人にはタイに来るよう呼びかけ、地位や名声よりも、自分を偽らない生き方が一番幸せであることを自らの人生を通して証明し、皆さんに自由に生きることの喜びを知っていただくためにここで暮らしています。

現在「飛び出せジャパン!」のスローガンのもと日本で窮屈している人々を救うため活動中!