コストパフォーマンスを考えるヤツ
自分も含めて、ネットに踊らされた世代は、コストパフォーマンスというものを考えがちだ
クリックひとつで、料金とサービス内容が簡単に閲覧できるからだ。
そもそも、コストパフォーマンスとはいかなるものか?
コストパフォーマンスの意味については、ウィキペディアなどに詳しく書かれているのでここでは書かないが
私がお世話になっている顧客も含め、たいていの人はこう感じているらしい
A: コストパフォーマンスが高い、コストパフォーマンスが良い=支払う金額よりも価値が高い
B: コストパフォーマンスが低い、コストパフォーマンスが悪い=支払う金額よりも価値が低い
たいていの人はAに遭遇すると、勝利感、爽快感、幸福感、達成感を感じ、自分のことを誇りに思う。
反面、Bの状況に遭遇すると、怒り、反発、不快感、相手(サービス提供者)への批判、攻撃という事態になる。
だから顧客は常にAを求めており、あえてBを求めようという者はいない。
Bを取ろうとする人間がいたら、それは馬鹿野郎であり、お金をどぶに捨てているようなものだから。
しかし・・・・よく考えてもらいたい。
本当にそれで合っているのだろうか?
そもそも人は損をしたくない、損をさせられたくない、これは元々自分および自分の財布を守ろうという気持ちから出ている。
それを責めてはいけない、責められるものではない。
と同時に、高いサービスを提供しながらも、安い代価を払われたサービス提供者、労働者、商店主は本当に喜んでいるのだろうか?
彼らはどっかで、工夫をし、コスト削減の努力をし、必死の戦いをしているはずだ。
実際のところ、かなり無理して、この激安競争の世の中を生きている。
そんな彼らに、当たり前のごとく安くて良いモノを提供させ続けるのは、おかしくないか?
そんなことを続ければ、彼らは潰れてしまうし、自分たちも困ることになるのではないか?
中国と世界の関係を見てみよう。
クリスマスなど祝ったこともない中国人が、今冬世界へ輸出する破格のクリスマス商品のために低賃金で働かされている。
携帯など持っていないアフリカ人が、激安携帯部品調達のために危険な鉱山掘りをやらされている。
われわれはそのような犠牲のもとに、安値を享受しているのだ。
コストパフォーマンス?そもそもそんなもの存在しないのではないか?
それを作った人の、材料費、労力、手間などが適正に払われているなら、それは当然の代価であり、当たり前のものについて
良いも悪いもない。
それが適正に払われていないなら、どこかに無理がある、というのが正しいのである。
現実はどうか?
もちろん、適正に払われてなどいない!!
東南アジアの自動車工場は搾取工場であり
中国の工場も強制収容所と同じだ
アフリカ人は昔から奴隷だし
農民は貧しいままだ
コストパフォーマンスとは、現代社会が生み出した造語であり
地球を汚し、資源を枯渇させ、環境を汚し、母なる星が危険にさらされているというのに
常に、自分のことしか考えない
どれだけの金を出して
どれだけのサービスを得られるか
コストパフォーマンスという響きの綺麗な言葉を使うが
実際は自分勝手な価値観で良い悪いを判断している
コストパフォーマンスとは
相手の苦しみや苦労、影の努力、つらさなどをまったく考慮しない
利己的で、事務的かつ思いやりのない言葉だと思う
これまでの長い歴史を顧みても
第三者の犠牲のもとに築かれた組織、国家、政治体制など
どれひとつとっても長続きした例はないではないか。
われわれにとってコストパフォーマンスにこだわることは
死にゆく惑星の死期をさらに早めることにほかならない
だってそこには数値の計算だけがあって
”愛”がないもの
コストパフォーマンスを求めるヤツは死ね
そして私もそういう人になりたくない
みなさんの【ご意見】をお聞かせください
やしの木ひでき