いま日本を救えるのは韓国車だけか!?

冗談のような本当の話である。

もう10年以上前のことになるが、フィリピン人の友人数名とフィリピンのネグロス島を旅行した。

ネグロス島というのは日本人にはあまり知られていない島だが、フィリピンでは砂糖の生産が最も盛んな島である。近年はダイビングなどのリゾートとしても注目されている。ドゥマゲッティ市の南にあるアポ島はネグロス島本土から30分の場所にあり、珊瑚や熱帯魚が多くダイバーの憧れの島と注目されている。

われわれ一行は、このネグロス島に友人の家族が住んでいたので、観光がてら会いに行ったのである。

ネグロス島というのは非常にユニークな島であり、政治的にも文化的にも二つに分かれている。

東側は中部ビサヤ地方に所属するネグロス・オリエンタル州で、西側は西ビサヤ地方に所属するネグロス・オクシデンタル州に分かれている。

われわれは、ネグロス島の主要空港であるバコロド空港で、運転手付きの車をチャーターし、この島のオリエンタル(東部)州へ向かった。

そのときチャーターした車がKIA(キア)であった。

KIAを知らない人も多いだろうから、少し説明しておくと、起亜自動車(きあじどうしゃ)は、実は、大韓民国第2位の自動車メーカーである。

2016年の売上げ台数は330万台で、世界第8位である。かつてはマツダ、フォード・モーターと密接な関係だったが、1998年の経営破綻を境に現代自動車の傘下に入って以来、現代と密接な関係となり、「現代-起亜自動車グループ(現・現代自動車グループ)」の一部になっている。要するに吸収されたのだ。

しかしながら、そんなことはどうでもよい。

というかKIAというブランドを知っている人さえ、日本には少ないであろう。

そもそも日本人は日常的に韓国車のことを話題にさえしないのだから。

 

もし、KIAが高性能かつ高品質かつ美しいデザインを持つ車であったら、とっくにファンが我々に代わって宣伝しているはずだから。

それがそうなっていない、というのは、それなりの理由があるのだ。(あの国が得意とする技術のパクリ、盗んだデザイン、でも、どこをどう見てもダサい、としか言いようがない)

 

アメリカ在住のお客様によれば、米国で韓国車に乗っているのは、黒人か貧困層らしい。理由は簡単、値段が安いからだ。でも、買って半年もしないうちにトラブルに見舞われるらしい。

 

話を元に戻すと・・・KIAの知名度などどうでもよい。その品質が問題なのである。

私たち一行は、このKIAに乗り込み、ネグロス島のオリエンタル州(東部)からオキシデンタル州(西部)へ向かった。

途中、峠の山道に差し掛かったとき、生まれて初めて、ある信じられない光景を目にしたのだ。

突然、上り坂の途中で、KIAのエンジンが止まったのだ。

慌てて運転手はエンジンを掛け直したが・・・

その後、運転手が目いっぱいアクセルを踏んでも、車はまったく動かなくなってしまったのだ。

ギアはちゃんと入っている!

電気系統も問題なさそうだ!

運転手は、確かにブレーキではなく、アクセルを踏んでいるのだ!

でも車は1センチも動かない。

運転手は頭にきて、さらにアクセルを踏み込んだ。

もうペダルが床にペタンとついてしまっている。

 

もう一度言うが、踏んでいるのはブレーキではない!

アクセルなのだ!

われわれは、何度も運転手の足下を見て、その事実を確かめた。

クラッチ異常なし、エンジン異常なし、トランズミッション異常なし、ガソリン満タン、

これでどうして動かない?

 

運転手はとうとう車を降りて、車を叩いたり、ゆすったり、最後は蹴飛ばしたりしたが、KIAはうんともすんとも言わなかった。

猛暑のなか、その場で30分くらい、茫然としていたが、何も、まったく、起きなかった。車は爆発さえ、しなかった。

 

このような場合、あいにくフィリピンにはJAFのような救援システムはなく、フィリピンの山奥ではあきらめるしかない、のであった。

 

そこは対向車さえ来ない場所であった。

たった1台、フィリピン共産ゲリラ(NPA)の車が、遠くから走ってくるのが見えたが、それ以外には何もなく、それほど寂しい場所であった。

当時、NPAに関わるとろくなことはない、地元の人から聞いていたので、一瞬助けてもらえることを期待したが、その車がそばにくると、笑顔で手を振って

「何でもないよ、ちょっとエンジンがオーバーヒートしちゃったんだ」

というそぶりでやり過ごした。

 

日本という国で育つと、アクセルを踏んでも動かない車があることさえ知らずに育つので、私(ひでき)は、そのとき初めて

【そういう種類の車が、この地球に存在する】

ということを知って、愕然とした。

(同時に、このオンボロ韓国車、なんてすばらしいんだ!オレに、日本という国が持つ技術のすばらしさ、日本人のモノづくりの精神に気づかせてくれたのだ!と思った)

驚いたことに、このような事態に直面しても、フィリピン人たちは、笑顔を絶やさず、ヘラヘラ笑っていた。深刻になる様子もなかった。

おそらくタイでも同じであろう。タイでもそのような事態はたびたび起きているのであろう、と想像できる。

結局、我々は(4人で旅行していたが)、1時間ほど待って、そばを通りかかった大型バイク(250CCぐらい)に乗って来たイケメン青年を捕まえ、彼を強制的にバイクから引きずり降ろし、こうお願いした。

「助けてくれないか! 

お金はいくらでも出すから、サンカルロスシティ(友人の親が住んでいた)まで連れて行ってほしんだ。

頼むよ!」

イケメンライダーは、しぶしぶ承知し、われわれ4人を後ろに乗せ、よろよろと発進した。

なんと総勢5名が、このか細いバイクにまたがり、何度も転びそうになりながらも、なんとか山を下りて、やっとサンカルロスシティまでたどり着いたのだ。

(それはいたいけない少女を、大のおとな、4人が寄ってたかって犯しているみたいな可哀想な光景だった、バイクゴメンね)

 

そのとき、数時間も同じ姿勢だったので、私(ひでき)のケツは死ぬほど痛くなったけど、良いこともあった。

私はイケメンライダーのすぐ後ろだったので、彼につかまるフリをして、長時間抱きつけたのが、唯一の幸運であった。

ところが、オレの後ろには、うざったいオカマのフィリピン人3人(ジョージョ、リト、メンドーザ)が連なり、ふざけて私に抱きついてきて、キャーキャーわめいていたので、彼らの汗臭い体と金切り声がせっかくの幸運を徐々に不快な体験に変えていったのだ。

それでもフィリピン人というは、タイ人同様明るく、困難にもめげない国民で、キャーキャー言いながらも、山道下りを楽しんでいた。

こんなトラブルに遭遇しても、へらへら笑っていられるメンタリティは、大したものだ。

タイ人もそうだが、フィリピン人もこのような動じない精神を持ち合わせているのだな、と感心した。

 

本日の結論である。

フィリピンで、韓国車というものが、どのくらいのレベルにあるか、というのを痛感した私(ひでき)であったが・・・

逆にそれ(韓国車の驚嘆すべき点)をメリットとして活用できないだろうか、と考えるのである

最近の日本では、高齢者がブレーキとアクセルを踏み間違えたり、焦ってアクセルを踏み込んで、建物に激突したり、大勢の死傷者を出したり、大問題となっているらしい!!

これは非常に憂慮すべきことであり、悲しむべきことである!!

 

そこで、この解決策として、日本に韓国車を多数、導入するはどうだろう?

特に反射神経が鈍っている高齢者に乗ってもらうのだ!!

アクセルを踏んでも、絶対に動かない車!

踏み間違えても、絶対に前に進まない車!

これこそ我々が求めている車ではないか!!!

それが韓国車の醍醐味というものだ!

 

アクセルを思いっきり踏み込んでも、うんともすんともブーとも言わない車

そういう車なら、高齢者が間違えて、ぐーんとアクセルを踏んでも

1センチだって前へ進まないのだから

事故なんか起きようがないのだ!

そもそも起きる事故はゼロだ!

しかも、ガソリンも減らない!

 

世の中に

これほど環境に優しい車があるだろうか!

こんな思いやりのある車があるだろうか!

こんな素晴らしい車があるだろうか!

 

さらにアクセルとブレーキを

踏み間違えても、絶対に動じない(反応しない)!

とにかく作動するのは、ブレーキだけ!

こんな天才的な車を韓国が開発できていたことを、なぜ日本は知らなかったのだろう?

日本も遅れているな!

(というか、どこをどうやったら、アクセルを踏んでも動かない車が作れるのだろうか?その技術力には驚く、というか呆れてひっくり返りそうだ)

こんな車なら、歩行者も安心して、街を歩けるだろう!

高齢ドライバーも安心して踏み間違えられる!!

おまけに安全のためのブレーキ(制動装置)はいつでも作動するのだ!!

韓国車万歳!

KIA万歳!

 

私(ひでき)個人はこの15年間、日本に一時帰国しても、一度も HYUNDAI  や KIA などという怪しげな物体、を見かけたことはないが、東南アジア、特に後進国でなら、その雄姿を見つけることができる。

(そもそも知り合いの日本人で韓国車に乗ったり、触ったことがある、という話さえ聞いたことがない。日本では、韓国車の目撃情報より、UFOの目撃情報のほうが多いのではないか、と思うぐらい

韓国車の話をしても、誰ひとり振り向いてくれないくらいのだ。

それほど日本人にとってどうでもよい話なのである)

 

しかし、私は幸運にもフィリピンでその韓国車の飛び抜けた性能や安全性をまのあたりにしてしまったのである!!

 

フィリピンやラオス、タイの周辺国に行けば、KIAやHYUNDAIは、たくさん見ることができるよ!!

(残念ながら、タイ人は圧倒的に日本車が好きなので、タイで韓国車を見つけることは難しいだろう。

1日に1台でも見つけることができれば幸運だと言える。そもそも見つけようとしている人さえいないのだが。

タイ人に聞くと、韓国車に乗っている人は品質には無頓着で、とにかく動けばいい、安けりゃいい、という人が多いらしい)

ということで、韓国車は、値段も安い、事故は起こさない、人は殺さない、動かない

ということで、良いことづくめなのである!?

なんでわれわれ日本人はそのことに気が付かなかったのであろうか!!!???

 

先日、免許を取り消された高級日本人の方にも、教えてあげれば事故は防げていたかな?

 

本当にすばらしい韓国車!

まったく非の打ち所がない韓国車!

車としては使えないが、車の外見をした工芸品とか、おもちゃとしては優れている。

アタシは80歳過ぎているけどちゃんと車、運転できるのよ、というアピールをしたい後期高齢者にはもってこいの代物である。

 

もう一度言おう!

韓国車は

アクセルとブレーキを踏み間違えても

絶対に発進しないのだから、ものすごく安全!

世の中に、これ以上、優れた品質というものがあるだろうか?!

 

 

これから国土交通省に行って提言するつもりだ。

「これからはもっと日本人、特に高齢者の方は

韓国車に乗るべきだ!!と。

 

なんたって

アクセル踏んでも、車が1ミリも前へ進まないから、事故が起きないのだ!!

これからは高齢者ドライバーの操作ミスによる交通事故はゼロになるぞ!!

そんな夢のような時代が来るのである!!

 

(でも、買い物に行きたくなったらどうするの?そのときはタクシー呼ぶか、日本車に乗ればいいのよん)

 

ということで、落語のようになってしまったけど、アクセルを踏んでも前に進まないという高性能な車は、いまどき世界でも珍しく、事故防止にも役立つ、なかなかの優れものだ、と感激している私(ひでき)です。

 

韓国の自動車メーカーのみなさん感謝しています!

あなた方の作った車、愛しています!!

合掌!

 

以上、最後までバカバカしい話におつきあいくださり、ありがとうございました。

(私個人としては韓流スターの大ファンなので、たとえ福島の魚を食べてもらえなくても、慰安婦や徴用工の問題がこじれ、レーダー問題がないがしろにされ、瀬取り問題が隠蔽され、通貨スワップですり寄られ、米国と親密過ぎると嫉妬され、大統領が次々弾劾され、70年以上たった今でも、反省が足りないとか、天皇陛下が直接謝罪しろとか、北と組めば世界一だとか、すべての日本文化は韓国が教えたものだとか、イルボン(日本人)が作ったものは植民地時代を思い出させるから使用禁止だとか、精神錯乱、罵詈雑言、キムチいやキチガイ三昧をさんざん言われ続けても、お隣の国とは仲良く付き合って行きたいとは思っているのですけど)

ご質問ご相談コメントございましたら、いつでもお気軽にお問い合わせください。

<資料>ネグロス島についてはこちらを

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%82%B9%E5%B3%B6

<資料>世界のダイバーたちの憧れ、ネグロス島のダイビング情報やブログについてはこちらを

https://4travel.jp/travelogue/10462450

https://www.tripadvisor.jp/Attractions-g298463-Activities-c61-t194-Negros_Island_Visayas.html

http://www.hana-wakuwaku.info/entry/2017/06/08/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E2%98%86%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%82%B9%E5%B3%B6%E5%91%A8%E8%BE%BA%E3%81%AE%E6%97%85%EF%BC%92%E6%97%A5%E7%9B%AE%EF%BC%81%E4%B8%96

 

ヨーロッパ旅で感じたこと(南欧編)

このたび会社が15周年を迎えるにあたり、記念行事として南欧と北欧を視察する旅行をさせていただきました。タイ暮らしが長くなれば、この辺でアジアを少しお休みして、15年ぶりにヨーロッパを見てみたい、という気持ちになり、思い切って北欧のフィンランドと南欧のスペインを2週間かけて回ることにしました。

今回はその後半である南欧編をお送りします。南欧と言っても訪れたのは、スペイン一国のみで、訪れた都市は首都のマドリードとマジョルカ島の南東部にあるカラサンタニーという海岸リゾートです。

みなさんはスペインという国をご存知でしょうか?知っていたとしてどのような印象をお持ちでしょうか?情熱の国、闘牛、フラメンコ、アンダルシアの白い村、ガウディの建築、ピカソやダリの絵画、独立したがっているカタルーニャやバスク地方?

私自身がスペインに強く心を惹かれたのは、そういった観光の要素ではなく、19歳のときに初めて訪れたときに感じた、現地人(スペイン人)の 「いい加減さ、おおらかさ、陽気さ」などでした。

スペイン人に関してよく言われることですが、概してスペイン人はおしゃべり、人の話を聞かない、大雑把、欲望に正直、よく食べる、酔っぱらう、すぐ笑う、大声で話す、歌って踊るのが好き、喧嘩っ早いなど、ラテン気質で、どちらかというと同時期に旅行したイギリスやフランス、スイスなどの国民とかなり違った印象がありました。

ヨーロッパ人とひとくくりにできませんが、概して個人主義で落ち着いていて、もの静かで洗練されたイメージがあったので、初めてマドリードの街を歩いているとき、スペインの若者たちから声をかけられたときは衝撃でした。

「お前たちは日本(Japón)から来たのか?すごいな!やったぜ!」と数名が飛び上がり、ガッツポーズをするのを見たときはこの人たちに並々ならぬ親近感を感じたものでした。(もしかしたら、スペインの子どもたちは日本のアニメを見て育っているからなのかもしれません)

その当時は(今もそうですが)、日本人は背が小さく、顔が平べったく、ヨーロッパの先進国様から見ると劣って見えたのでしょう。馬鹿にされて当たり前の感じがありました。今もそうですが、全体に白人はアジア人を下にみているように感じるなか、スペインではむしろ日本人は歓迎されていたように感じました。当時の日本人でスペインばかり旅行する人間は少なかったでしたから。

そんななか、大きな親しみをもって地元の若者に迎えられたというのは、遠い遠い日本から来た人間にとって、とても心温まることだったのです。

それ以来、スペインを代表する料理、音楽、絵画、フラメンコ、スペイン語、闘牛あらゆるものに興味が湧いてしまい、こんな楽しい面白い国で、こんな面白い人たちと一緒にいたら楽しいだろうな、という思いを抱いてしまったのです。思えばそんなことがきっかけで、この国には深い愛着を感じしまったのです。

海外旅行がブームとなった1980年代前半、日本人にとってはフランスやイタリア、ドイツやイギリスといった良く知られた国々への旅行がゴールデンコースでしたが、私は周囲から「なんでスペインなの?食事がまずいのでは?つまらなそう?」と言われ、不思議がられながらも、毎年スペインに通うようになっていました。

しかし、40歳になって会社を辞めると海外旅行はできなくなりました。まして、日本を出て、海外で暮らし始め、タイで起業してからは、旅行どころではなくなってしまったんです。

タイに来てからは、大好きだったヨーロッパには15年も行くことができなくなってしまったのですから。

(スペインは大好きでしたから行けなくなったのは残念でしたが、もともと海外旅行が趣味だったわけではなく、ゲイとして清々しく生きることが目標だったので、後悔はありませんでした)

さて、15年ぶりに訪れたスペインの印象について申し上げる前に、マドリードとマジョルカ島で撮った写真をお見せしながら、思い出に浸りたいと思います。

 

どこでも空が青いのがスペイン(マドリード・スペイン中央銀行前)
太陽もまぶしい(マドリード・グランビア通り)
空が青過ぎる(グランビア通り)
不思議なもので19歳のときから訪欧のたびに訪れている王宮
マドリードの地下鉄は創業1919年(大正8年)と100年の歴史がある
地下鉄の駅も芸術的だ

 

緑が美しい通り

 

ファッション関係の店が続く
いまや無印良品は世界のどこにでもあるらしい(落書きが残念)
エル・コルテ・イングレス (El Corte Ingles S.A.)は、マドリードに本社を置くヨーロッパ最大、世界第4位の百貨店グループ
エル・コルテ・イングレス百貨店のカフェからマドリード市内を撮影
デパートの最上階は展望カフェになっている(本当は不倫の待ち合わせ場所になっている)
マドリードは古い街である

 

 

Zara Disigual H&M など日本でもお馴染みの洋品店がたくさん並ぶ通り
パタヤーほどゴミは落ちていない
あちこちに数え切れないほど教会が
バル(居酒屋)で飲む観光客(マドリード・バルコ通り)
最近のバル(居酒屋)にはカウンターに椅子が増えたように感じる
スペインにもたくさんの種類のビールがある(MORITZ、Mahou、Estrella Damm、Damm Lemon)
歩道が広く整備されているのが有難い(マドリード市内)
今やスペインでも人気の日本食品(マドリード市内のスーパー)
海苔も売られているとは(マドリード市内)
日本酒やお茶だって売られている(マドリード・エルコルテイングレスデパート食品売り場)

 

プラド美術館に比べ静かで穴場のティッセン=ボルネミッサ美術館
ティッセン美術館入口(マドリード市内)
どこもかしこも空が青い(夏のマドリードは毎日晴れているらしい)

 

ティッセン美術館内部(マドリード市内)
ピカソらしい
ティッセン美術館(マドリード市内)
ティッセン美術館(マドリード市内)
ティッセン美術館(マドリード市内)
おや、お仲間たち?(マドリード市内)
ゲイに優しいマドリードにはゲイバーもある
ゲイバー入口にある注意書き
年中無休のゲイバーらしい(マドリード市内)
だんだん石畳にも疲れてきたかな(マドリード市内)
生ハムやタパス料理を出すバル(居酒屋)1日中開いているのがうれしい
朝食から夕食まで何でも食べられるバル(居酒屋)

 

朝食はたいていチュロス(揚げ菓子)とカフェコンレチェ(カフェオーレ)

 

~~~~~さようならマドリード、これからマジョルカ島へ~~~~~

マドリード・バラハス空港(日本語の案内が見える)
バラハス空港ターミナル4(日本語が書いてあるのがわかりますか?)
美しく機能的なマドリード・バラハス空港(ターミナル4)
早朝のバラハス空港の喫茶店
ヨーロッパ域内やスペイン国内線は荷物をドロップして搭乗券をかざすだけ、とても簡単
バラハス空港のターミナル4、ここにも太陽がいっぱい
マジョルカ島はバレアレス諸島のなかで一番大きな島です

 

パルマ・デ・マジョルカ空港到着(ヨーロッパ中からバカンス客が訪れます)
マジョルカ島に着きました(なんか松島みたいだけど)
マジョルカ島南東部は美しい入り江がたくさん(こんな美しい海で泳げるんですから最高ですね)
この島ではひたすら泳ぐか読書をして過ごしました (Cala Llombard海岸)
年間300日以上が晴れというマジョルカ島、毎日晴れています
ホテルから見える景色(毎日こんな景色を見えて過ごしました)
仕事のことはすっかり忘れ
ひたすら泳いで昼寝し、夕食を食べる
ホテルのレストラン、絶景を見ながら毎日朝食と夕食ができます
マジョルカ島では基本二食付きの宿泊になります
地元料理のパエリアのほか、生ハム、チーズ、果物を飽きるほど食べさせていただきました
生ハムになる予定のイベリコ豚でしょうか
マジョルカ島は農産物の生産も盛んで自然豊かな島です
乾燥したこの土地はアーモンドの産地でもあります
夕食後もまだ明るいので近所を散歩
本当にどこを散歩しても美しい南欧
宿泊したホテル(ここに5泊しました、ちょっと熱海の温泉旅館みたい)

 

同ホテル(このあたりのホテルはどこも断崖のような場所にあるんです)
どこの海岸も底が見えるくらい透明度が高いです
パタヤーにはない海のきれいさです

 

その美しさに思わず飛び込んでしまいたくなります
どこも本当に蒼い地中海
もう十分に遊んだという感じです
だんだんパタヤーが恋しくなってきました
明日はマドリードに戻ります
マジョルカ島最後の夕陽です

 

夕方の散歩から戻りました
地中海は夜も美しく言葉が出ません
35歳から習っているスペイン語ですが、どうもうまく通じません(受付で明日空港へ行く交通手段を確認します)

 

さようならマジョルカ島(パルマデマジョルカ空港)
年寄りは新聞を読み、若者は携帯を見ます

 

さようならマジョルカ島(パルマデマジョルカ空港)
ヘルシンキ空港には意外とたくさんの日本人がいました(フィンエアーは東京、大阪、名古屋、福岡へ飛んでいます)
ヘルシンキ空港でフィンエアーのバンコク行きに乗り換えます
おっと、どこかで見たことのある飛行機(ヘルシンキ・バンター空港にて)
バンコクが見えてきました
スワンナプーム空港に着いちゃいました(帰路はヘルシンキからバンコクまで9時間ちょっとで来てしまいました、意外に近いヨーロッパ)

 

さて、15年ぶりに訪れたスペインの印象ですが・・・

極めて正直に申し上げますと、全体に【少しがっかり】でした。

古き良き時代のスペインらしさはすっかりなくなり、昔の泥臭さやいい加減さもなくなり、小ぎれいで、物価の高い、しかしあまりバカをしないスペイン人がそこにはいました。

いまはスペイン人は昔ほど大声で笑うこともなく、日本人が珍しいと言って声をかけてくることもありません。街中には南米や北アフリカからたくさんの移民が訪れ、人種混合という感じでした。

少ないと思われていたアジア人や黄色人種もいまや中国人のお陰で頻繁に見られるようになり、下手するとマドリードの街中で中国語の看板が見られます。

ユーロへの通貨統合は良い面ももたらしましたが、人々の生活がより苦しくなり、大量の難民はより国家の税負担を増やし、暴動やテロ、取り締まりや警戒、さらに厳重な空港でのセキュリティチェックなどを招きました。

グローバル化という言葉は響きは良いですが、世界どこへ行っても都市は似通って見えるという現象を生み出しました。ヨーロッパ中にマクドナルドやスターバックスができ、H&Mやらユニクロができてしまうと、都会にいる限り世界どこも同じように見えてしまうのです。

ヨーロッパから個性がなくなり、商店主と客は言葉を交わさなくなり、機械でお金をやり取りすることになり、会話が聞こえなくなり、ただ商品をもってレジに並ぶだけの買い物となり、二次元の世界にいるような感覚になりました。

わが祖国日本だって、便利になったけど、ふれあいというのはまったくなくなりました。コンビニの店員が売買以外の言葉をかけてくれることなんてあり得ませんからね。

子どもの頃のように個人商店のおかみさんが「あら、ひでちゃん、ずいぶんおしゃれしてるのね、きょうはどこかへお出かけ?」なんてことは言ってくれません。

思えばパタヤーも私たちが来た2004年当時に比べればものすごく変化したと思います。やしの木のホームページを立ち上げたときはインターネットはまだダイヤルアップでしたし、街全体でもATMは3台くらいしかなかったように思います。1バーツが2.5円くらいでしたらどれほど使ってもお金は残っている感じでした。

それがいまは1バーツが3.5円を軽く超えています。ショッピングセンターやデパートができ、日本食レストランも増え、お刺身や日本食品が簡単に手に入るようになりました。それはそれで有難いことなのですが、物価も上昇しました。いまやモノによっては日本より高いのではないでしょうか。

こうした変化には抵抗することができません。ずっとパタヤーをみてきた者として街の発展はうれしいことですが、失われたものも多いような気がします。

仕方ないですよね。

古き良き時代の日本を欲してもどこにもないように、古き良き時代のスペインなんてどこにもないんだ、って思いました。

街も、人も、景色も、【すべては変わる】それが地球の真実なのだ、と気づきました。

アジアにくらべれば、ヨーロッパは、変化のスピードが少しのんびりと感じましたが・・・。

【どこにいても、われわれは変化を恐れず、新しいモノを受け入れなければならない】

と思ったと同時に

【私たちの住んでいるパタヤーという土地はいつだって疲れた旅人を癒せるような街でなければならない】

と強く感じました。

これからは熱っぽいアジアで稼ぎ、静かなヨーロッパで休む時代となるのでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。

(ちょうど私たちがマジョルカ島に滞在していたとき、北海道厚真町で震度7の地震がありました。災害に遭われた地域の皆様へ心よりお見舞い申し上げますと同時に、被災地の一日も早い復興をパタヤーよりお祈りしいたしております)