GW、一時的な奴隷解放に過ぎないのか?

今年もゴールデンウィーク(GW)がやってきた。

GWになるといつも思い出すことがある

GWと聞いて、リフレッシュだとか充電期間だとか思える人が羨ましい

7年前、毎月のように世界を旅行していたオレは気づいたんだ

 

ある時気がついたんだ

 

というかこの国に住んでいる限り、自由にはなれないことを

 

悟ったのだ

 

特に会社に勤めている限りは無理だと思った

 

そりゃ会社に勤めていれば、定期的に金が振り込まれるので

 

万事、安心のように見える

 

給料が振り込まれる=>とりあえず月末の支払いはできる=>とりあえず安心

 

給料が振り込まれる=>とりあえず月末の支払いはできる=>とりあえず安心

 

この繰り返しが何万回も繰り返される

これが見えない罠なのだ


会社から評価され、高い給料とボーナスなどもらえば

 

一時的に世界を自由にできたように感じていた自分も

過去にはあった

 

だが、本当は違っていた

 

おいしい待遇は本物の自由ではなかった

 

自由とは達成感の塊ではなかったのか?

それが全然そうではなかったのだ!!

 

会社で得たお金は

旅行にせよ洋服にせよすべて一時的な快楽に消えた


それは自己実現などとはほど遠く

仕立ての良い服を着た「犬」だった

その「犬」がたらふく餌を食べて満足しているだけだった

 

それは自分のやりたいことではなく

動物的な欲求を満たしていただけだった

 

しかも自分が世間様からまともであるというお墨付きを維持し

見せかけだけの安心や快楽を得るための

一時的な手段=お金、を得るための手段だったのだ

 

オレは単に野良犬になりたくなくて

野垂れ死にしたくなくて

頑張ったに過ぎない

 

毎年毎年、連休最後の日、飛行機が成田に着くと

ああ、また明日から奴隷だ

 

そういう思いに襲われた

 

それはどうしようもない思いだった

 

それでも10数年、お前はついている、お前は偉い、と自分を励ましつつ

ごまかして働いてきたが、ダメだった

 

最終的に気がついたことは

 

この社会はオレたちみたいな奴隷をうまく調教して

機能しているのだ、ということだ

 

「逆らえば飯を喰えなくするぞ!」

そう脅すのだ

 

オレたちにそんな恐怖感

 

つまり、金がなくなったら人生は破滅する、という経済論理のみに支配された恐怖を飢えつけ

 

その恐怖心を利用していつまでも働かされる

【母ちゃんへの想い】

単純にオレはゲイなのに

ただそれだけのことなのに

なぜ全身で抵抗しているのか?

仲間はずれ、人と違うこと、疎外感、次々と行く手をはばむ障害物

自分と他者を隔てているモノ、それが偏見というものなのか?

人生には偏見しかないというのか?

母ちゃん、オレはタイに行くよ・・・

ーひでき詩集「母への想い」よりー

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