忙しいからといって人生が進んでいるわけではない

毎年、年末になると

 

「忙しくて、忙しくて・・・」という言葉を日常的に聞くが



はっきり言ってこの言葉、好きになれない





私自身は 数年前からこの「忙しい」という言葉を辞書から消した



つまり使うのを辞めたのだ



「忙しい」とは心が死んでいると書くのだから



オレは心を殺してまで生きたくないと



思ったのだ







「忙しさ」とはある意味、まやかしだからである



単に上が決めたシステムに働かされているだけの場合が多い


給料ボーナスというまやかしのニンジンにごまかされて動かされているだけだ



(それでも金は欲しい、というのが本音だろう・・・が、それは麻薬と同じで、一時しのぎに過ぎないと思う)



見ていてもっとも悲しいのは、単純に「忙しいことは良いことだ」と勘違いしている人があまりにも多いことだ


「忙しい」というとあたかも物事が進んでいるように思えるが

全然そんなことはない!



むしろ、物事の本質や自己を見失っている場合が多い


いや、今のあなたがわかっていて「忙しい」ならそれでもいい

何のために忙しいかその意味がわかっているならいい


みなさん、いい加減に、自分を見失い、ただ闇雲に忙しいだけの人生はもう終わりにしませんか?


せっかく不景気なのだから、ここで一気に本質に迫ることを

考えようではありませんか

人間は本来いつでも、どんなときでも

自分ペース(人間本来のペース)でしか進めないようになっている





それを無理やり進ませようとするなら必ず無理が出る



その無理がストレスや過重負担となり



要らぬ病気を引き起こす



我々のビジネスは心身の回復作業を



タイのパタヤーでしているに過ぎない


われわれはサイボーグではないのだから





何もわかっていないのにただ「忙しい」なら

それはあなたにとって無意味な「忙しさ」なのだ



それはあなたを害する「忙しさ」なのかもしれない・・・

課長と室長は不要なポスト?

ある社長さんから聞いた話だが



本来、会社に課長とか室長とかのポジションは不要だという


もちろん、課長代理とか課長補佐も不要だ



○○室室長とか


○○管理課長とかいうポストも


ゴミに等しいポストらしい



企業は人道的理由からか世間の批判を怖れてか


そのゴミを捨てきれず


もてあましているのだという




実態はどうか?



たとえば室長は、社員のおもりをするポジションではなく


部屋のおもりをするポジションだそうだ


つまり給湯器や観葉植物の世話をするためのポジションで


実際の業務、つまり人の管理やプロジェクトの遂行


ができない人物を飼っておく地位らしい





一方、部長はセクションの長なので


そのぐらいは必要かもしれない



会社を率いる社長がいれば


セクションごとのマスターが必要であることは確かだ




40代後半~50代になって


課長補佐や課長代理の役職をもらっている人は


ほとんど将来がないと言っても良いらしい


いわゆる窓際である



ただ、窓際にだって生きる道はある


窓から飛び降りればいいのだ


着地したところから新しい人生を歩めばいい




50代後半からでも立派に事業を起こして


成功した人は少なからずいる


要はやる気の問題だ




世間ではまず髪の毛が薄くなるというが


最初に薄くなるのは勇気だ





誰一人そんなポジションには憧れていないのに


オレは室長だから


と薄う微笑を浮かべているくらいなら



さっさと現実を知って


清水の舞台から飛び降りたほうがいい


室長、聞いてるかい?