擬似恋愛は存在しない

擬似恋愛は成就するのでしょうか?という相談を受けることがあります。

平たく言えばGOGOのような商売の子と、擬似恋愛を重ね、やがて本物の恋愛に発展するでしょうか、という質問です。

擬似恋愛は恋愛の一種と考えられていますが、私個人の考えではそのようなものは最初から存在しない概念だと思っております。

擬似恋愛はそもそも金から始まっており、本当の恋愛感情からは出発していないのが特徴です。

擬似恋愛は金で始まっているので、金で終わるように運命づけられております。

擬似恋愛の進行は、相手方の演技力に大きく依存しており、演技が冴えなくなったときに終わりを告げるものです。

また客が一方的に、恋愛サービスを欲しなくなった場合も、ご利用中止という名目で終止符が打たれます。
私は擬似恋愛という言葉自体、存在しないと思っています。

なぜなら恋愛は惹かれあう者同士が寄り添う自然の行為であって、その過程を金が支配することはできないからです。

だから、そもそもスタート時点から、コンセプトがズレているのです。
最初から心が入っていないので、あとから無理やり心を入れようとしても無理なんです。

でも、演技するほうは必死です。
理由は簡単、家族の生活がかかっているからです。
家族は借金を抱えているのです。借金は待ってくれません。

でも、それを商売としてやっている夜の業者は、空しいことはやるなとは言えないんです。
夢を売ってる商売ですから。

【あのボーイ君とうまく行くでしょうか?】と相談されても「頑張ってください」とか「幸運を祈ります」としか言えないんです。
ミッキーマウスは現実には存在しない生き物です。
でもディズニーランドはそれをあたかも実在するように演出して売っています。

ディズニーは本物のミッキーマウスと遊べるかのように設定してお金を儲けている
お客も現実でないことをわかっていながらファンタジーの世界で遊んでいる

(だから本物のミッキーマウスを出せという客はいません)


ディズニー大好き、このまま朝までディズニーランドで過ごしたい!!

でも、ディズニーランドにはちゃんと閉園時刻があってその時刻になると帰らなきゃならない
ミッキーのぬいぐるみを着ていたスタッフも時間になるとちゃんと仕事着を脱いで帰宅します


それが現実です

ディズニーランドに出口があるように、擬似恋愛にも出口があるのです

楽しんだら、現実に戻らなきゃならない
旅行者や駐在員は帰国しなければならない
ボーイ君は次の客を相手にしなければならない

厳しいですが、それが掟です。


(その掟を破って、ボーイ君が自分を好きになってくれないかな、と願望を押し付けるのは、そもそもルール違反というものです!!)

金で性が売られているわけですから、金で買える以上のものは
手に入りません、これ当たり前ですよね

そういったことを誤解している人が多すぎるわけです
(なぜなら肌のふれあいは特別だから、セックスは時として心を揺さぶるものだから、そしてそれを現実のことと錯覚しまうほど淋しくなっている先進国の現状があるから、です)

こんな商売をしている私が言うのもなんですが

本来、性というのはもっと厳粛なものだと思うのです
いわば愛する人に捧げる聖なる器みたいなもんです

それをタイ人は貧しさに負けて、簡単に売ってしまう
彼らを責められないけど、売る側も悪いのです

そして、それを安い安いといって買ってしまう日本人や西洋人たちにも問題があります
そういうどうしようもない現実がタイにはあるのです

だから私はタイが大嫌いでした
タイが好きだという人も嫌いでした、あまりにも安易な感じがして(今はちがいますけどね)
そんな私も弱さに負けてかつてタイボーイにお熱を上げて、パートナーから蹴り入れられました。

私の場合、かすり傷で済んだからよかったですが、精神的にも経済的にもダメージを受けている人は少なからずいると思います。

さて、ボーイ君との恋愛は成り立つでしょうか?と良く聞かれますが

残念ながら私は【99パーセント成り立たない】と答えています。
ですが【99パーセントという数字は悪くない】と思っています。

だって100件に1件は結ばれるのですから。
1万人いれば100カップルは幸福になっているということです。
タイ人だってへらへらしている人ばかりじゃありません。きちんと恋愛して、外国人と結婚している人だって少なからずおります。まあそれは国外に暮らしているタイ人が多いのですが。

タイボーイに恋して、傷つく、その経験は無駄ではありませんけど、早めに勉強するためには、早めに経験したほうがよいようです。早めに気がつけばそれだけ立ち直るのも早いと言えます。

年取れば取るほど、病は重くなりますから
偉そうに申し訳ありません。コメントをお待ちしております。

GOGOの子は嫌だ、という方へ

先日、日本で会社を経営されている50代の方がパタヤーに来られた

事業は順調で、資産もできた、あと数年でリタイア可能だという
(やらやましい限りだ・・・)

パタヤーには数え切れないほど来たという

その人が言うに

「もう、商売の子は疲れた」

「こちらでリタイアするにあたっては商売の子とはつきあいたくない」

のだそうだ。

そういう希望を持っている人は多い

その希望はとっても切実だ

気持ちは良く分かるが・・・

GOGOの子はどうしても金がらみになってしまう

体を売ることを前提にして生計が成り立っているのだから

ところで、タイ人で体を売らなくても収入があり

なおかつゲイで

日本人との出会いを期待している者はどのくらいいるだろうか?

バンコクならともかくパタヤーでそういった出会いを

求めることは現実的であろうか?

現実的でないとはいえないと思うが・・・

確かにパタヤー近郊(チョンブリ、ラヨーン、シラチャー)の優良企業につとめていて、まともな給料をもらい、ゲイで日本人との出会いを求めているタイ人は少なからずいると思う

我々ゲイの自由を促進しようとする企業が

そういった人々をネットワークで結ぶことができればいいのだが・・・・
(言語や文化の違いを解消するサービスが必要となるだろう)

いままで何度も書いているように

商売の子とは「金で始まり金で終わる」のは自明の理であるように思う

しかし、人間界の摂理として

お客さんは、性欲のあとは、人間関係的なもの

すなわち第2段階を求めるのだ

人間は年齢が進むに連れて、孤独も増すという

旅行の先にロングステイがある

ロングステイの先には死がある

生老病死は避けられない

どんなに遊んだ人も遊ばなかった人も等しく死を迎えることになる

これはどこで暮らそうと同じことだが・・・タイで暮らすなら


海外での孤独、死、さらに財産管理などの問題に対処しなくてはならない

これらの問題にどう向き合うかも含めて

これからケアーをどうシステマチックに高めるかが問われており

うまくシステムを構築できればビジネスになるだろうと私は考えている

皆様のご意見をお願いいたします