帰る場所のないパタヤの子供たちに

孤児院と聞いてみなさんは何を思い出すだろうか?

暗く電気もろくに通じていない木造の建物と不穏な雰囲気を漂わせる空間、そこにたくさんの親から捨てられた子どもたちがひしめき合い、事情があってそこにしか居られないにも関わらず、心無い言葉を吐くボスのような存在・・・それはまるで芦田愛菜演じる孤児院を扱ったドラマ「明日、ママがいない」のようだ。

パタヤーに来て間もない頃、ケンと私は同胞(ゲイ)を助ける仕事、という理念がいまいち具体化せず、進むべき道を模索していた。

ある時、パタヤーのスンニプラザという場所に「子どもの家」という名前の孤児院がある、という噂を聞いた。(スンニプラザとは少年の街として知られるパタヤー第二のゲイタウンである)

パタヤーというリゾートの歓楽街では、夜の商売に身をやつしている人間はかなりの数であった。学歴も技術もスキルももっていないタイ人にとっては、手っ取り早く現金を稼ぐ方法はバー勤めぐらいしかなかった。

ここで驚くべきことに女性の多くは結婚していて、妊娠経験があり、子どももいるという。

夜の商売で成り立っている街ゆえ、子持ちのホステスも多く、結果子育てを諦めたホームレスやストリームチルドレンも多く見られた。

夜の商売をしながら子育てをする、というのは母親にとって大変な負担である。常連客がついたとしても常に不安定なバーの収入では子どもを満足に育てられなくなり、しまいには子どもを手放すことになってしまうのである。

親に捨てられた子どもたちは、ほどなくして同じ境遇の子どもと知り合うようになり、仲間と街をふらつくようになり、寝場所を探し、残飯をあさるようになるのだ。中には目利きのする子がいて、スンニプラザなどの飲み屋を回って客を見つけるような子も出てくるのだ。児童買春を自ら申し出るわけだ。

20年前のパタヤーでは普通に見られる光景であった。このパタヤーに高層ビルがそびえたつようになっても、その数は決してゼロになっていないように思える。大きなビルの陰には捨てられた子どもたちが雨露しのぐ場所を求めて隠れているのである。ただ、彼らは目立たないだけなのだ。

パタヤーの街にいるのはホームレスだけではない、住む場所もなく、行く当てもなく、食べるものもなく、着るものもなくただあたりを彷徨っている子どもたちもそうなのだ。

 

私たちがやって来るずっと前に、カトリックの使節団としてタイにやってきたレイモンド・ブレナン(のちのレイモンド神父)は道端で物乞いをする大人や子どもたちを目にして

「どうしてここにはこんなにたくさんの貧しい人がいるのだ。子どもたちはどんなところに寝泊まりしているんだ?」

と不思議に思ったそうだ。

やがてレイモンドは「これはまともな状況ではない。こういう状態を放置してはいけない。なんとかしなければ」と強く思い、とりあえず始めた仕事が孤児院「子どもの家」だったという。

(詳しくはファーザー・レイ財団の歩みをご覧ください)

私たちはそのような立派な取り組みをしている場所を一度でいいから訪れてみたい、と思った。

私たちは、孤児院の手伝いはできなくとも、子どもたちに会ってみたい、小額でもいいから寄付をしてみたい、という気持ちになっていた。

子どもの家と呼ばれるものは当時、すでにスンニプラザにはなく、現在のスクムビット通りに移転していて、レイモンド神父とその仲間たちの努力によって立派な施設をもつ大きな財団に成長していた。神父はすでに他界していた。

財団で今では保育園から高校、職業訓練校までもつ一大教育機関になっていた。両親から見放された子どものほかに、肢体不自由な子どもたち(両足、両手のない子や弱視から全盲の子どもたち)まで受け入れているのであった。

電話で「私たちはやしの木という小さな会社をやって、ゲイ(同性愛)の日本人を助けている会社ですが、一度見学させていただきたい、寄付もさせていただきたい」と申し入れると何も聞かず、快く受け入れてくれた。

「どこ国のどのような背景を持つ方であっても、財団の趣旨に賛同してくださるなら、私たちは歓迎します。早速、迎えの車を差し向けましょう!」とわざわざ迎えの車を用意してくれた。

当時もいまもレイモンド神父の共鳴して財団に入り、外国人の案内とサポートを担当してくれているのはイギリス人のデレック・フランクリン氏であった。

デレック氏は丁寧に施設を案内してくれ、子どもたちとともに私たちを歓迎してくれた。「お昼が近いですから、一緒に食べて行きませんか?」と子どもたちのために作った食事を、子どもたちと同じ食堂で食べさせてくれた。

財団で出会った子どもたちはとても明るく屈託がなかった。彼らでさえTOYOTAやMITSUBISHIは知っていたが、何より彼らはアジアのどこか知らない国からやってきたおじさんたちに臆することなく話しかけてきた。

子どもたちのなかには両腕がなく首にカバンをかけて歩いている子もいた。全盲の子で白杖を突いて歩いている子も、両足がなく車椅子で動いている子もいた。

しかし、彼らのその瞳は想像していた陰鬱な子どもの眼ではなく「ボクらはみんな元気、ボクらは仲間、君たちも一緒だよ」と言っているかのようだった。

何の恐れも儀礼もなく刷り込まれた知識もなくただ目の前の人間に対して素朴な興味を抱いてくれた。

彼らのキラキラした瞳、いったいそれは何なんだ、と思った。日本の子どもたちには悪いが、日本の普通の小学生とは全然違うようなオーラを放っていた。

それはもしかしたら、菩薩様が彼らに成り代わってこんなことを言っているようにも思えた。

お前いままで落ち込んでいただろう?

着る服がない、おしゃれな靴が買えない、とか嘆いていただろう。

ならヒデキ、オレたちを良く見るんだ!

オレたちには袖を通す腕もないんだ。靴を履こうにも足がないんだ。

お前、何年人間やってるんだ? まだ、そんなことでくよくよしているのか?

いまは落ち込んでるだと??? お前、ガキみたいこと言うな

 

子どもたちは笑ってはいたが、その澄んだ瞳の中に、厳しさと鋭い視線を感じた。それは我々に何かを気づかせようとしているようにも思えた。

それは同時に春の太陽のような温かさもを感じさせた。

それは父や母から先生など絶対的な立場にありながらも、親しい人たちから許されたような温かい気持ちであった。

 

この小さな菩薩たちの集団はこんなことを言っているように思えた。

いまのお前はそのままでいい

なにかを無理してやる必要はない

ただし、与えられた命を精一杯生きなくてはいけない

自分のためだけでなく、一緒に生まれてきた人たちのことを思い、その人たちを助けることでお前は助けられるんだ

自分をそんな気持ちにさせてくれた

 

見学を終え、家に戻る車の中で、温かい気持ちになるとともに、涙が出てしまった

 

そして、心から反省した

「オレはいままで自分のことばかり考えていた、自分を憐れんでいた」

「これからはどうしたら他人を助けられるか、どうしたら他人を喜ばせることができるか考えるべきなんだ」

と気づいた。

またこの財団を訪問したい、と思った。

財団の子どもたちは、我々が届けたわずかの寄付とは釣り合わないくらい大きな元気と勇気をくれた。実際この訪問を終えてから順調に顧客が増え始めた。

 

ここでたいていの人間がたいてい気づかないでいる、地球の真理もしくは宇宙の摂理のようなものに思いを馳せた。

我々はひとりでは生きられない。

この世界に生を受けて生きているのは両親のおかげだが

我々は太陽を浴び空気を吸い水を飲んで生きている

そして食物から栄養を取って生きている。

太陽と空気と水は天の神様から無料で与えられている

植物もそうだがそれを我々に供給してくれているのは農家の人だし

我々のところまで届けてくれているのは運送人だ

我々が生きていられるのはそういった生産する人々がいるからだが

我々が生産者に代価を払わなければ、彼らも生きられない

我々は食べ物を買うことによって生産者を養っているのだ

と同時に、我々は彼らがいないと生きていけない

彼らがいることにより、彼らに養われているのだ

養うということは養われている、ということと同義だ

 

地球上で生きる限り、その原則は絶対に外せないのである。

このことはたいていの人が、たいていの場合、忘れている。

 

話を孤児院に戻すと、我々は孤児院に寄付して、彼らを助けてやったような気になっているが、その行為自身、我々を助けているのだ。

よく忘れがちなことだが、遠い国で起きていることが、離れた自国にとってはとても大事なことになっている、ことも多い。

一見、日本とタイは遠く離れた異国のように思えるだろうが、そうではない。

みなさんは、何年か前のタイ東北部大洪水のとき、日本の自動車工場が水に浸かり、創業がストップしてしまったことを覚えておられるだろうか。

そのとき、タイからの部品が日本に届かなくなり、国内の生産ラインがストップしてしまったことを覚えているだろうか。タイの洪水は結果、日本の自動車生産に支障をきたした。

日本と中東諸国は石油で繋がっている。石油がなければ日本は一日たりとも生活できない。同じく日本と東南アジア、日本と欧米諸国も似たような相互依存の関係にある。

もし、日本の将来を憂うならアジアのことも同時に憂うことになるのだ。アジアにこれ以上、貧困や身よりない子どもを作ってはいけない、と思うことは飛躍した論理だろうか。

養うということは養われている、こと。

日本はアジアの一員であり世界の一員である、こと。

他者の助け無くして自分も生きられない、こと。

遠い小さな国の小さな子どもたちを助けることは、遠くない将来、自分たち自身を救うことになる、という事実。

 

私は遅ればせながら、この事実を自覚したのであった。

 

残念ながら、私はアメリカ第一主義を掲げたトランプという大統領を好きになれない。確かに衰退しつつあるアメリカは自分の足でしっかり立って歩かねばならないのだが、その前に世界は相互不可分の関係にあるのだから、どんなことがあっても、世界とは協調して、相互理解の上に物事を進めねばならないだろう。一方的に規制や締め付け、圧力をかけて相手を従わせようとする姿勢は先史時代的である。アメリカは世界の面倒を見てやっている、というような口の利き方は避けたほうがいい。アメリカこそ世界から養われているのだ。

 

 

 

コロナ後の世界、日本・タイはどうなる?

在タイ16年の私が肌で感じてきたことをもとに、コロナ終息後の世界、日本、タイを予測してみました

(そうなると予測できる強い理由)

 

●通勤電車、満員電車、混み合った場所、のようなものは無くなるでしょう。

(そもそもこういった拷問に近いことが人類に長く許されてはならないし、続いてもいけない)



●現在の資本主義という名の下に遂行されている ”詐欺システム” は消滅するでしょう。

(そもそもまともな経済の仕組みがなかったので、長時間低賃金労働、過労死や自殺を生み、良心的な企業がいとも簡単に潰れてきたわけです)

 


●移動手段や交通機関はかつてない斬新かつクリーンで安全、静かなものになるでしょう。

(そもそも環境に害を与えたり、自分さえよければ他者はどうでもよい、という交通システムは存在してはいけないのです)

 


化石燃料を燃やしてエネルギーを得る仕組みは消滅するでしょう。

(そもそも地球はその血液である石油がガスを吸い取られ苦しんでいます。一方で地上に住む我々も大気汚染や温暖化でさんざん苦労しています)

 


●エネルギーを独占していた組織は消滅し、原子力に代わる新しいエネルギーを開発、統括するチームが出来上がるでしょう。

(電力会社やガス会社、例えば東京電力や東京ガスのような会社はエネルギーを独占してきたので、新エネルギーの導入とともに終焉を迎えます)

 


電線や電波が不要となり電柱や電波塔は街の風景から消えるでしょう。

(そもそも銅線を売りたいばかりに電線が敷かれていただけです。景観を損なう電柱や鉄塔も地中に埋められるか撤去されるでしょう)

 


●世界に存在する水が劇的に浄化されるので、ミネラルウォーターは購入不要となるでしょう。

(そもそも薬品入りで工業生産されている自称ミネラルウォーターにも問題ありました。ペットボトルの製造中止に伴いゴミもなくなるでしょう)

 


●これまで我々が ”生きる楽しみ” のように思ってきたことの大半は消滅し、新しい趣味や楽しみが出現するでしょう。

(そもそも不条理や虚しさ寂しさをほんの一瞬忘れるために開発されたアルコール消費、スポーツ観戦、娯楽と娯楽施設などは存在の理由がなくなるでしょう)

 


ゆっくりではあるものの、近未来にはさらに次のようなことが起きるでしょう。

 



~~~~~近未来に起きること、さらによくなる状況~~~~~


●畜産業や動物展示産業(動物園)がなくなり、動物たちは自然に戻され、同時に動物たちとの触れ合いはもっと一般的、日常的になるでしょう。トラやライオンと戯れることも普通になるでしょう。

(そもそもあらゆる動物の命を軽んじ、人類の食に供すること、見世物として展示することで、人類の悲劇や病気が始まりました。これを止めることは本来あるべき状態に戻ることです)

 

 

●肉食の食事は消滅し、野菜と果物だけの食事になるでしょう。

(そもそも肉食は動物のネガティビティをそのまま身体に取り入れているので病気が無くならないのです。肉食は人類に不要)

 


●化学調味料、添加物、加工食品は消滅し、すべては自然の味となり、一層風味が良くなるでしょう。

(そもそも健康を害する目的で作られた化学食品・加工食品は毒の摂取と同じで、人類になんら益することがありませんでした。食毒をバラまいている「味の素」のような会社は潰れる運命にあります)

 


●さらに時が経つと、人々は栄養摂取や食事をしなくなるでしょう。

胃や腸などの内臓が変化するでしょう)

 

 


●適切な環境により人間の肌が原始の状態に戻り、若返りが見られ、老化が遅くなるでしょう。

(そもそも浄化された水、清澄な空気、適切な栄養を摂取し、遺伝子に付けられた傷が修復されれば長生きするのは当たり前)

 


●酒類や麻薬の製造・販売はなくなるでしょう。人々はそれらに頼らず充実した日々を送れるようになるでしょう。アルコールに代わる飲料ができるので依存症はなくなるでしょう。

(そもそもすべてがまともに機能している社会においてはアルコールや過食に頼って日々の憂さを晴らす必要が皆無となります。これまでなかった新鮮な果物や自然の材料のみを使った飲料がたくさん生産されるでしょう)

 


●病気を起こす遺伝子や細菌が存在しなくなり、寿命が100年単位で延びるでしょう。

(そもそも人に有害なウイルスや細菌は新しい環境に適用できなくなり生存場所を失うでしょう。遺伝子は本来の配列に戻り、病気を抱える人はいなくなるでしょう)

 



●警察の代わりにボランティアの自衛団が編成され、武器や兵器が無くなるでしょう。

(そもそも長期間に亘る徹底した道徳教育や愛情深い教育システムにより略奪や強欲に陥る気持ちがなくなります。武器や兵器を使ったことが遠い過去の物語となるでしょう)

 



教育期間は寿命に応じて50年から100年の範囲で長くなるでしょう。

(そもそも教育より大切なものはないので、まず自然と他者の命の尊重に重きを置いた教育が施行され、個人の興味ある分野には年齢や履修期間の制限なく教育が受けられるようになります。金儲けスキルコースなどは存在せず絶えず新しくクリエイティブな分野が発生するでしょう)

 


●学校では道徳や環境に関する教育が徹底的に施され、他者への思いやりや自然を育成保護することが最優先事項となるでしょう。

(食うためや雇われるための職業訓練などは一切存在せず、初期の道徳教育や自然重視の教育が施されたあとは、ひたすら好きな分野の探求と開拓のための教育期間に進むことができます。人類地球の発展と進化に適しており、自然と宇宙のバランスが取れているものはすべて推奨されます)

 



怪我や病気がなくなるので医療機関や製薬業界の存在そのものがなくなるでしょう。

(そもそも毒の一部を薬として販売し、薬に依存させる形で利益を確保してきた製薬会社、利益のため医療行為をしてきた医療機関は存在理由を失うでしょう)

 


●金融機関が別のものになり、銀行員は職を失うでしょう。

(そもそも通貨制度は国家や市民のためではなく、富裕層が市民を働かせるために考案したものです。一見便利に見える通貨制度は金融詐欺システムの終焉とともに、過去のものとなるでしょう)

 

 


●世界の言語が1つとなり、多言語への翻訳が不要となるでしょう。一方で個性豊かな地域言語は文化の形で残るでしょう。

(そもそも同一言語で話すことできたにも関わらずそれを意図的に阻害していた存在がなくなり、簡潔明瞭かつ味わい深い世界同一言語が誕生するでしょう。一方で昔ながらの国語や地方語も残るでしょう)

 

 

●化石燃料が不要になり、排気ガスをまき散らすトラック、乗用車、バイクは地上から消えるでしょう。それに伴ってガソリン系のエンジン産業や自動車産業が無くなり、そこで働くすべての人間は、すべて職を失うか、別の仕事に就くことになるでしょう。

(そもそもこれまではエネルギーを牛耳る勢力が、便利さとまったく引き合わない大気汚染の原因である騒音エンジン文化を作った時代でした。が、今後はクリーンでサイレントなエンジンが開発されるでしょう。例えば、地球の磁力や引力解消を利用した動力やエネルギーが開発され市民が利用できるようになるでしょう)

 


ヘビーメタルやハードロックなどのような脳細胞を破壊する音楽は地上から消え、心穏やかで踊りたくなる音楽が多く作られるでしょう。楽しく心躍る音楽を演奏する個性豊かなアーティストも増えるでしょう。

(心を安定させ、気分を高揚させ、躍動感やリズム感のある、美しく繊細かつ楽しく微笑むような音楽、心落ち着く、不安を取り除くような音楽だけが残るでしょう)

 



●現在の航空機や船舶に代わる移動手段が開発され、地球の裏側までわずか数時間で行けるシステムや移動手段が開発されるでしょう。一方でのんびりとしたスタイルの旅も残るでしょう。

(航空燃料のようなものは一切使用されなくなるでしょう。過去にはなかったような磁力や引力、酸素水素その他安全な元素を動力源とした移動システム、電気的に細胞を移動させるような仕組み、瞬時に移動が可能となるシステム、一方でゆっくり時間をかけて移動する徒歩、自転車、列車などの手段は残るでしょう)

 

 


動物の肉や海洋生物を使った料理やそのような食事はしなくなるでしょう。人々の生活はしばらく野菜と果物だけとなり、最終的には栄養摂取という目的で食事をしなくなるでしょう。

(肉食と同じく海洋生物の命を食することは無くなるでしょう)


●従来の仕事内容が確実に変化し、ノルマ等が無くなります。

(そもそも好きなことだけをやることが仕事なので過去に見られた不要な規則や規制がありません、利益や生活のためにする仕事も存在しなくなります、会議や交渉などは過去の言葉になるでしょう)

 


誰にも強制されずに自ら望む仕事だけできるようになるでしょう。

(そもそも昔っから当たり前のことでしたが、最近までそのことに気づく人はいませんでした)

 


生活のためではなく自己実現と他者の喜びのためにだけ仕事が存在するようになるでしょう。

(そもそも人類創生の時から当たり前のことです)

 

 


●コンクリートを使った住宅が無くなり、十分な強度のある自然素材と再生可能な材料のみで建物が作られるようになるでしょう。

(そもそもコンクリートが環境破壊と諸悪の根源であることに気づきませんでしたが、今後はそれが証明されるでしょう)

 



●視界を遮る高層ビルはすべて消え、毎日街のどこからでも青空と朝日と夕陽、星や月、が見えるようになるでしょう。

(そもそもこれまで当たり前であったことです)

 

 


●パスポートや身分証明、その他あらゆる馬鹿げた証明書が不要になるでしょう。

(証明という言葉は友情、信頼、愛情の証という形でのみ使われるでしょう)



●他国で居住したり、働くことに制限がなくなり、国境を越えたあらゆる許可が不要になるでしょう。

(地球や宇宙という大きな家族においてその成員は身分証明というものが不要となります。家族同士で身分証明書を見せ合う必要がないのと同じです)

 



●通貨制度が劇的に変化し、現金がなくなり、カード類も不要になります。数値ではなく別の方法で価値測定がなされるようになるでしょう。

(通貨は当初は便利なシステムでしたが金本位制度が崩壊してから悪魔の手先となりました、それに代わる新しいシステムが作られるでしょう)

 

 


●少数の経済・政治エリートたちが国を統括したり、大多数の貧困層を牛耳ることはなくなります。

(当然自然の流れです)

 


●いわゆる会社組織というものがなくなるでしょう。同時に大企業と呼ばれる存在が中小企業を傘下に置いて支配することも単なる過去のお話になるでしょう。

(利益を追求する団体や市場を独占する、といった行為そのものが無くなるでしょう。人類や宇宙に必要な保護機関や組織は存続するでしょう)

 


●独裁政治、人種差別、セレブ主義、拝金主義、強制労働、刑務所などが過去のものになるでしょう。

(そもそも人類に不要だったものであり、歴史書に残る過去の悲しい出来事として記録されるのみでしょう)

 

 


●税金という合法的な詐欺システムが無くなり、それに代わる財政制度が立案され実行されるでしょう。

(溢れるばかりの収穫があり、食糧生産が完全に整備され、すべての人間が富める時代になると、税を集める必要はなくなります。一方でバックアップやサポートが必要な分野には即座に支援がなされるでしょう)

 


電通はじめとする悪質な広告代理店やメディアはその存在を無くすでしょう。

(これも悲しい人類の支配痕跡と洗脳の象徴として歴史書にわずかに記録が残るのみです)

 


●デマを流して人々を不安に陥れ、洗脳して誘導するマスコミの存在そのものが消えるでしょう。

(そもそも正しい目的でのマスコミの姿が戻ってくるなら存在意義もあるでしょうが、それはないでしょう。すでにマスコミは自らの存在意義を自分たちで潰してしまいました)

 

 


●国会議員に代わる新しい専門家評議会というシステムが構築され、日本の閣僚のようなアマチュアが政権を運営することはなくなるでしょう。

(代議員のようなシステムは残るでしょうが、そもそも金や利権で動くもしくは独裁で動くということが無くなるでしょう)

 


ICチップを秘密裡に埋め込んだあるあらゆるワクチン接種は不要となり、次世代世界支配用の5Gは役立たずのゴミとなるでしょう。

(ワクチンも5Gも裏社会や闇勢力の消滅とともに次の新しい安全なものに取って代わられるでしょう)

 


パタヤーに関して言えば、次のようなことが起きるでしょう。

ワクワクするようなことばかりです。

実際に一部はそうなりつつあります。

いや、一部は現実になっています。

 

 



~~~~~コロナ後のパタヤー、いままでのパタヤーはなくなる~~~~~

 



●味噌汁のように濁っていた海が、かつての透明度の高い南国の海に戻るでしょう。

(現在は赤みそから白みそ汁状態になったくらいですが、徐々に透明度が高くなって、最終的には本来の熱帯の美しい海に戻ってゆくでしょう)

 


●海にはイルカやジュゴンが戻ってくるでしょう。

(場所によってはすでに戻って来ています)

 


●棲み処を失われた動物が新しい住処を得て、森や林に戻ってゆくでしょう。野犬が人を襲うことはなくなるでしょう。

(そもそも人間はそのような環境に生まれているので、やがては動物とともに静かに共存することになるでしょう)

 



●本人の意志に反した労働や生活するためやむを得ないキャッシュ目的のビジネスはなくなるでしょう。

(そもそもこのネガティブ行為には大きな心の反発があったため長い間人類の心身のバランスを崩してきました)

 

 

●ホームレスや娼婦は居なくなるでしょう。

(そもそも社会の歪みが無くなるのでそれらはなくなるでしょう。それ自体が遠い過去の物語となるでしょう)

 

 


●ゴーゴーバー、ショーパブ、売春バーはほぼ消滅し、もっと良い方法で楽しく遊べるようになるでしょう。

(そもそもたまの楽しみとか息抜きとか思われてきたことが全く必要なくなるのでこちらも存在の必要がなくなります)

 



●店舗を貸していたヤクザは霧散し、だれでも自由に商売ができるようになるでしょう。

(そもそも新しい時代に物件等の所有権は無くなるので意味がありません、個人に最低限必要と認められた所有は除く)

 



●ディスコ、カラオケ、クラブなど激しい騒音と振動を発する施設は消滅するでしょう。

(そもそもここで流れている音楽が身体を害するものであり心をかき乱すものなので、そういったものを求める人が居なくなるでしょう)

 


●中国マネーが途切れ、自然無視の乱開発やコンド建設が終了するでしょう。

中国共産党が解散し、かつて中国という国にあった良き伝統や文化は受け継がれ、それ以外の黒歴史は書物に残るだけとなるでしょう)

 

いかがでしたでしょうか?

とても信じられないと思われるでしょう。タイに来るまで私もそう思っていました。でも思い切って日本を飛び出し自分のやりたいことをやろうとしたとき、自分がいかに日本という社会、いわゆる常識というものに縛られていたかがわかったのです。

 

 

下記の書籍はあくまでも参考ですが、思い切って新しい生き方を提案する参考となるものでした。

 

 

この世の中で正しいものを正しいと言って堂々と生きることはかなり勇気のいることだと思いませんか?

 

例えば、私の住むタイでは王室批判をする人はいません。なぜなら王室批判は不敬罪というものが適用されるからです。

 

でも本当はタイ人はみんな独自の意見をもっています。みんな影ではかなり辛辣な王室批判をしています。でも見つからないだけです。

 

最後にみなさまの参考に、このような結論に至った書物や動画をご紹介させていただきます。

 

「スライヴ(2011年ドキュメンタリー映画)」、「天国の真実(スザンウォード)」とその関連本、「地球人になった金星人(オムネク・オネク)」との関連本、スモーキー・ゴッド——地球内部への旅(ウイリス・ジョージ・エマーソン)とその関連本、「空洞地球―ポーソロゴスの図書館ミコスからのメッセージ(ダイアン・ロビンス)」、「超シャンバラ―空洞地球/光の地底都市テロスからのメッセージ (ダイアン・ロビンス)」、「お金ができる仕組み。銀行の詐欺システムMoney As Debt(動画)」「現職警官「裏金」内部告発(仙波敏郎)とその関連本、「まもなく日本が世界を救います ベン&龍10の緊急提言 」(ベンジャミンフルフォード・太田龍)とその関連本、(『大いなる秘密〈上〉「爬虫類人」(レプティリアン)超長期的人類支配計画アジェンダ全暴露!!』(デービット・アイク)とその関連本、「バカをつくる学校 (ジョン・ガット)、「メルマガ版「植草一秀の知られざる真実」