みんなぎりぎりのところで生きているんだ

正月休み最後のお客さんが帰って行きました

 

 

これでホッと一息つけるかな、と思っていたら・・・

 

 

正月に休みを取れなかった人やこれから遅い正月休みという人たちがタイにやって来るので・・・

 

そんなにのんびりもできない

 

と気づきました

 

 

 

まあ、いいか・・・

これが俺のやりたかったことだもんね

 

と思い返しました

 

 

 

 

そもそもパタヤーという海辺の

田舎町に住んでいると(旅行者は別だけど)、仕事でもしてないと死にそうなくらい退屈になるんだから

 

仕事があるっていうのは有難いことなんだよね、本当に・・・

 

 

 

 

さて、正月休みを終えて日本に戻ったお客さんたちからのメールを開くと

 

 

文面がものすごいため息をついている

ように見える

 

 

 

 

”羽田に着いたとたんに気が重くなりました” 

 

とか

 

 

 

 

 

”関空に降り立った瞬間に足かせをはめられたような気分です”

 

 

とか

 

”これから年度末にかけて地獄です”

 

 

 

とか、かなり気分悪そう・・・

 

 

 

 

「まあまあそんなに落ち込まないでくださいよ・・・」

 

 

 

 

「○○さんは仕事があるだけ良いじゃないですか、将来のあるすばらしい仕事だし」

 

 

 

 

「パタヤーで充電できたんですから、しばらくは頑張れるでしょう」

 

 

 

「あっという間にゴールデンウィークですよ」

 

 

 

といって取り繕ったり、お客様たちを励ましたりするのだが・・・

 

 

 

とはいえ、日本に戻った瞬間、お先真っ暗、と感じる人は多いです

 

 

 

 

”明日から会社と自宅の往復”

”明るい話題なんてどこにもない”

”あるのは義務と責任ばかり”

 

 

と落ち込んでしまう

 

そんな気持ちになる原因はどこにあるのでしょうか?

 

 

ひとつにはこの時期の日本の天気、気候だと思います

 

 

1月、2月の日本は寒気だけでなく、関東以西の太平洋側を除いてはどんよりと曇った日が多く、日照時間も短いわけです

 

(長期間太陽が見られないってつまらないですよね・・・パタヤーに北欧出身の人が多いわけです)

 

 

 

 

 

それに2017年のカレンダーには、11ヶ月以上もの空白があるのです

 

 

つまり

 

 

残りの11ヶ月間、たっぷり働いてもらうからな

 

 

とカレンダーに言われているようなものなのです

 

(カレンダー見てるだけで拷問みたいなもんですよね)

 

 

 

たとえ何十年同じ職場に勤めていようが、年の初めには気が引き締まるものです

 

 

(これ私たちも日本に暮らしていたからよ~くわかります)

 

 

 

 

 

ところでパタヤーはこの暗さや落ち込みとはまったく”正反対にある”場所だってご存じでしたか?

 

 

 

ここではすべてが自由で、すべてが輝いていて、すべてが許されている(と思われている)んです。

 

 

 

事実として、パタヤーほど太陽が輝いている場所はありません

 

(そりゃもう暑くて暑くて汗が出ちゃいます)

 

パタヤーこそ、あらゆる意味で、ゆるゆる、だらだらな場所はありません

 

 

結局、パタヤーこそがゲイを差別せず、暖かく迎い入れてくれる場所なんです

 

(正確にはゲイであろうがレズであろうがバイセクシャルであろうが、すべての性指向が許されているんです)

 

 

 

こんな場所は世界のどこにもない! と断言できるんですね

 

 

これは確かです!

 

 

 

タイにはバンコク、プーケット、チェンマイ、サムイ島など、多少ゲイを受け入れてくれるところはあるにはありますが・・・

 

 

 

パタヤーほど、どんな人間も無条件で、そしてダイナミックに受け入れてくれる街はない、と思っています

 

 

 

 

 

日本にお住まいのゲイのみなさん

 

 

 

仕事が始まったからといってどうか落ち込まないで!

 

 

プレッシャーなんかにつぶされないで!

 

ゲイにはパタヤーがあります!

あなたにはパタヤーがあります!

 

 

 

あなたが悩むのは真面目だからですよ

でもこの街にくれば悩んでる人なんか居ません

 

 

ここにはあなたの話を聞き、あなたと一緒に街を歩き、楽しいものを見たり、一緒に食事してくれる仲間がいるんですよ

 

 

 

次の旅行までもう秒読みが始まっている、と思ってください

 

 

あと、ほんの少しの辛抱です

 

確実に春は近づいています

(そもそもパタヤーに春はないけど)

 

 

 

私たちはあなたの帰りを待っています

 

 

どうか元気を出してくださいね!

 

 

 

 

今年もタイ・パタヤーからたくさんの愛と癒しを込めて

 

 

ひでき

 

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国王死んで泣いた

昭和天皇が亡くなったときは涙が出なかったが

 

なぜかプミポン国王が亡くなったと聞き、不思議と涙が溢れてきた

 

 

個人的な話になるが・・・

 

そして、当然のことながら、私自身国王に会ったことはないが・・・

 

 

崩御の知らせを聞いたとたん

 

あの曲が突然心の中で流れ始め

それが頭の中で何度も繰り返されたのである

 

そして思わず涙が出てしまったのである

 

 

あの曲とは・・・

国王を称える歌である

春の穏やかな日差しのなかに、うっすらとした悲しみと愛情を感じさせる曲である

 

実はこの曲、タイの映画館では上映開始前に当たり前のように流れる曲だが

 

 

それが私がタイに来てからの日々と重なっていて

 

 

万策尽きて、どん底の日々にあって

 

旅行者のように楽しむこともできなくなったとき

 

なけなしの100バーツで映画を見に行ったときに遭遇した曲だった

 

 

思えば・・・

 

 

タイはゲイに優しい国

 

という安易な思い込みだけでそれまで滞在していたスペインからタイに移動し

 

まったく何の計画もなく起業してしまい

 

その後、半年間は集客の見通しもつかず

経費ばかりが出てゆき

所持金が減るばかりの日々だった

 

明け方、ひとり浜辺を散歩しながら

 

 

”ああもうすべて終わりだ”

”自殺するしかないな”

”自殺するならあの岩がよさそうだ”

”いっそあそこから飛び込んでしまえ”

 

と思っていた

 

ケンジには内緒だったが

何度もそう思っていた

 

 

私に自殺を思いとどまらせたのは

 

 

・ケンジがひどく悲しむだろう

 

・死体を日本に搬送してもらうのはかなり大変そうに思えた

 

 

という二つの理由だった

 

 

思えばあれが一番つらい時期だった

 

 

 

王様には申し訳ないが

この曲は国王への想いというよりは

そのときの思いに重なっている

 

 

 

それでも国王はわれわれに近い存在だった

 

 

昼も夜も

街中でも国内どこにいても

いつも我々を見てくれていたあの方

 

それが国王だった

 

優しい顔をしたあの方はもういないのだ

 

そう思うとまた涙が出てくる

 

国王は自分にとってタイのお父さんだった

 

でもタイ人にとってはこれからも心の中に生き続けるお父さんなのだ

 

タイ国民よ、悲しいでしょうが

それでも、元気を出してください

 

みなさんが笑顔で働き

 

みなさんが笑顔で観光客を迎えてくれることを王様もお望みだと思いますよ

 

日本人もタイ人も同じです

 

あなたたちは私たちの大切な友人、そして家族です

 

 

最後に

 

ありがとう、お父さん

 

 

 

そして

 

 

さようなら、お父さん

 

 

合掌

 

 

 

 

 

 

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