”もうタイには何度も旅行した” (それこそ下手な住人よりもバンコクの街は知っている)
”ボクにはタイ人の友だちがたくさんいる” (いざとなったら彼らが助けてくれるだろう)
”タイ語だって少しはできる” (日本で習っているのだから)
”ボクはタイがどこよりも好きだ” (実はタイ以外はあまり知らないのだが)
”ボクはタイにいるときが最も自分らしいのだ” (自分らしいというより何をやっても許される雰囲気があるから)
この国の魅力に取り付かれ、 24時間タイを感じていたいと思う人は多いと思う
たとえ短い期間でもいいここで暮らしてみたい旅行者でなくここで仕事をしてみたいここの『住人』になってみたい そう考えるのは自然なことではないか、と思う
だが・・・ 100回タイに旅行しても、住んでみないとわからないことはわからないのだ
タイに住み始めたころ、在住の日本人から「ここで仕事するようになると毎日むかついて一日10人ぶん殴りたくなりますよ」と言われた。
最初は何のことだろうと思って意に介さなかったが半年もしないうちにその意味がわかった ご参考にバンコク発の情報誌『ダコ』の読者投稿欄にあるバンコクでバス通勤している女性の話を紹介する
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「良い運転手さんって、この国には存在するのかなぁ、って思ってしまいます。
片足をかけた瞬間に出発しますし、ひどい時にはかすかに動いている状態のときに乗らなければならないし
降りるときにも止まる前からドアは開く、まだ降りきっていないのに発車する
数秒待つということは難しいことではないと思うのに・・・
お金を払おうと、財布を開けたとたんに急ブレーキをかけられて、
両手がふさがっていましたから、見事に転んでしまいました。
立っていたのは私だけで、恥ずかしさもありましたが、それ以上に怒りがこみ上げてきました クラクションと急ブレーキの連続、割り込み・・・
マナーなんかクソ食らえです 良くタイ人はハンドルを握ると人格が変わる、と言いますがまさにそうだと感じます」
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もし、あなたが旅行者としてバスに乗るならこんなシーンも笑って済まされるだろう だが、現実にここで仕事をするとなると、職場にはなんとしても着かねばならない。
仕事は義務だから、なんとしても遂行しなければならない
旅行は気分が乗らなければキャンセルできるが、仕事ならそうもいかない。
お客さんは、上司は、あなたを待っている。あなたはその期待に応えなくてはならない。 どんなに暑くても、冷房が効いていなくても、その路線の、そのバスしかないなら、チョイスはないのである。
日本という便利を絵に描いたような国から来た人間にとってこの国で味わされる数々の不都合は心地良いとは言い難い 明らかに旅行で味わう刺激とは違うのだ
好きだったらどんな苦難も乗り越えますと多くの人は結婚式で誓うが、それならなぜ離婚するのだ?
好きだったらどんな苦難も乗り越える・・・はずではなかったのか?
タイが好きというなら文句を言うな
タイで働きたいというなら文句を言うな
タイ人を鈍いとか言うな
マイペンライはそんな簡単な意味ではないのだ
この国で仕事するということは、自分の義務をいかに悪条件でも遂行するかということである
毎日自分のもっている常識との戦いである
実はマイペンライは”どんな不都合でも受け入れます”という覚悟の言葉だったのである
そんな大げさに構えなくてもいいと思うが、すくなくとも仕事をするということは、悪条件を受け入れながらも
この地で職業的義務を果たすということであり、旅行のような気軽さは一瞬で消えるということだ。
不条理を受け入れる(というか諦める)ことができる人が住める場所なのである。
徳川家康が言ったように
「不便を常と思えば不足なし」
の心境になれなければどこでも住めるだろう。
あなたが変化を恐れぬ人で、チャレンジ精神をもって その状態を楽しめるならば、タイ生活はハッピーなものとなるだろう