やはりダメか、タイ人?

これまで何度となく裏切られてきたが、今回もタイ人に裏切られた。

(具体的な話は控えるが、ビジネス上のお金とか約束の事である)

やはり、タイ人に期待するのは間違えである、と身に染みて感じたのである。

 

タイ人を最後まで信じよう、と努力してきたつもりだが、やはりそれは無理な相談だった。

 

というかこの国においては、いかなることがあっても、最後まで、タイ人を信用してはいけない、

それを肝に命じなければならない。

 

裏切られるのは仕方ない、忘れるしかない、許すしかない、ということだ。

 

それがこの国で生きる掟(おきて)なのだ。

 

問題は、今後どうやって行動するかだ。

 

事務所のスタッフだけでない、ドライバー、ホテルスタッフ、マッサージ師、レストランの予約係まで

約束が履行されなかった場合、どのようなトラブルとなり、どのような不利益が客と会社に生じるか

 

前もってそれを予測し、対応策を練り、即実行できるよう

われわれ日本人は心を鍛えるしかない。

 

考えてみれば・・・

 

何でもきちんとしている日本社会がいけないのかもしれない。

日本の感覚のほうが世界標準ではないのかもしれない。

 

先日、ラオス・ビエンチャンのワッタイ空港のロビーで日本人と思しき中年の女性に話しかけられた。

 

その女性は英国に長く住んでいるという。

すでに英国の年金を貰えるくらい長く働いているそうである。

 

その女性いはく、「日本はキツすぎますよ。イギリスなら50パーセントくらいの労力で働けますよ~」と

あの先進国、女王陛下の国で、である。

 

日本のようにぼろ雑巾のように働かせる国はない、というのが世界の常識なのだ。

 

これにはアメリカ、カナダ、ヨーロッパで暮らしてきた私も納得である。

 

タイ以外で一番長く住んだカナダでは

なんと公務員の郵便局員がストを打ち、たびたび郵便物が出せなかったことを経験しているので・・・

 

カナダの郵便局のことを思えば、日本のサービスはすごい、というかやり過ぎなのである!!

 

どこに住んでも外国人というハンデを除けば、日本ほど働かされる国はない。(北朝鮮とか中国の収容所は別かもしれないが)

 

その効率と質を見れば、比較ではもっとも安い賃金で働かされているのが日本人ではないか?

 

その日本人がタイに効率やクオリティを求めても、意味がないのである。

 

話変わるが・・・

 

パタヤーの街中には1,000バーツつかませれば、平気で性器をさわらせくれるような輩ばっかりである(えげつない話でごめんなさい、でもこれっていい国なのかも?)

 

タイに来て間もない頃、バイクタクシー運転手の兄ちゃんが、キアヌリーブスみたいに(古いが)ハンサムだったので、「あんた、カッコいいね!」と褒めると、すかさず私の腕をつかみ、「2,000バーツでどう?なんでもしていいよ、お前のコンドはどこ?」とオファーされたので、慌てて「そんなつもりはない!」とごまかした。

(いま思えばとんでもない破格のオファーだったのに、もったいないことをした)

 

 

そのような国だから、そもそも恥も外聞も世間の評判もモラルも約束も時間効率も何もない。

そんな国に、正式な対応とか、正式な謝罪を求めるほうが間違っている。

 

(そんなことは承知でタイに来たのではないか?と逆に聞かれそうだ)

 

タイ人には時間を大切にするという感覚もアポするという意識もないのである。

彼らが物事を遂行するために払っている犠牲はそもそも犠牲ではないのだ。

 

ボーイズタウンのあるボーイ君が、バンコクの友人に貸したお金を返してもらえるというので、わざわざバンコクの友人のところまで出向いていったところ、そのボーイ君はそもそも友人との待ち合わせ日を間違えていて、友人に会えず、貸したお金を取り返せなかったという話があった。

そんなレベルなのである!!

 

 

タイ人という人種は、

時間はたっぷりある

死ぬまである

という国民なのである。そういう国民に対して、憤ってはいけないのである。

 

なんたってほぼ90パーセントの国民がそうなのだから。これはあきらめるしかない!

ゲイは不便だが、不幸ではない!

  • ゲイに生まれたからこそ、つきまとう不便、不都合、障害ってあると思う。

会社ではゲイ疑惑の対象にならないかと怖れ

家族からは結婚しろと迫られ

考えてみればわれわれゲイの日常は

苦悩から切り離されることがないように思える

 

これには本当に疲れてしまう

 

お客様のなかにも・・・

自分は問題なく育ちましたが、唯一、孫の顔を見せてやれないことが親不孝だと思っています

と後ろめたさを感じている人も多い

 

一般社会の価値観を適用すれば・・・

子孫も残せないゲイという種族に生きている価値はなく、もう死ぬしかない

のだが・・・

 

そもそも神様は本当にオレ達を苦しめたくてこの世に送ったのだろうか?

いやそんなことはない、と思う。

そうでなくて・・・何か意味があってそうしたのではないか?

 

神様はもしかしたら・・・

お前たちが、一見不利に見える条件をうまく活用すれば、すごく幸せになれるよ!

と逆にチャンスをくれたんじゃないかな?

 

この世には因果というものがあって

われわれゲイに生まれてきた者はすべて

この因果を知って生まれてきたのだと思う

 

あえて平坦ではない道のりをなぜわざと選んで生まれてきたのか 

 

私も若い頃はわからなかったが、40歳になったとき、これが前世からの因果だと思うようになった

 

因果は良いも悪いもないのだから

いっそ

この因果は贈り物と思ったほうがいい

と結論した

 

そして、あえてこの性質(セクシュアリティ)をこの人生で経験することによって

魂のレベルが上がるという設定だから

オレは選ばれた人間

特別な星の下に生まれた人間

普通の人間(ノンケ)だったらできない経験ができる人間

と思った

 

なぜなら・・・

男のアレをしゃぶったり、逞しい裸体にさわったり

夢見るような男に抱かれたり

入れたり入れられたり(笑)

射精のしびれるような快感を味わったり

これを経験できることは何よりの幸せではないか?

 

(忘れがちだが、女性とつきあうことによる複雑な人間関係や妊娠などの煩わしさから解放されることも見過ごせないメリットだ、女性が嫌いと言っているのではありませんよ)

 

上記のようなエロチックな利点以外にも

同性を愛することの喜び

仲間と連帯する楽しさ

差別しないことの価値

強く生きることの価値

われわれはこれを最初からわかっていて

生まれてきたのではないか

 

だとしたら

これは絶対に恩恵なのである

 

 

ゲイは不便で苦労が多くやりきれない、と思うことも多いけど

 

ゲイだからこそ持てる才能がある

ゲイだからこそ味わえる喜びがある

これはゲイに生まれないともらえない特権

に気づくべきだと思う

 

特権なのだから

幸せだなと思えばよい

感謝すればよいのだ

 

この世はふてくされて生きる者が負ける仕組みになっており

感謝して笑顔でいる者が勝つ仕組みになっているらしい

 

ゲイとして生まれてしまったことは負け組に生まれたということでは断じてない

 

これをチャンスだと思って生きることが本当の幸せや成功につながるのだと思う

 

まさに芸(ゲイ)は身を助けるのである

(自分もそう思ってタイにやってきたし、仕事も続けてきた)

 

 

ゲイに生まれたことを嘆いている諸兄がいるなら申し上げたい

 

ゲイに生まれたことは天の恵みだと思うし、神様がわれわれに成長のためにくれたお土産なのだと思う

 

その贈り物を無視して暗く生きるのはやめましょう

 

ノンケ達の前では、敢えて我が身の不幸を嘆くふりをし、相手を油断させ、あとでヤツらを一気に出し抜くのだ

 

本日のまとめ

ゲイに生まれたこと

それは神様から成長を期待され、愛されている証拠

従って、ゲイは不便だが、不幸ではない、という結論に至る