睾丸潰されてよかったね!

derneuemann / Pixabay

こんなタイトルにしようものなら、むかつく人は多いだろう

もちろん、よかったなんて誰も思うはずはないだろう

 

99パーセントの人がこの事件を憤慨し被害者には同情を寄せるだろう。

俺も同じだ。

 

俺自身は20歳のときに急性の耳下腺炎にかかり入院した。いわゆる睾丸がひどく膨れ上がり、たぬきも真っ青な大キンタマの状態になった。もう歩くのがじゃまでじゃまで・・・笑いごとではない

 

かつて球技をやっていたときに自分のタマにボールがぶつかったときの痛さや衝撃を覚えている人もいるだろう

もうそりゃ息できなくくらい痛いのだ、それを下記のニュースの中学生は潰されたんだ

 

男にとって睾丸の破損や障害は男の面子に関わる問題だ

顔は殴られてもいい、だが睾丸だけは困る

 

子種ができないどころの騒ぎではない

男として精子を生産するところ=性を満喫する源泉=なのだから、壊されたら男を否定されたことになる

こんな屈辱があるか、と怒鳴りたい

 

まずは下記のニュースを読んでもらいたい

 

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【いじめで睾丸つぶされた少年を学校は隠蔽工作】

 

水戸市立中の男子生徒(12)は昨年6月30日~7月6日にかけ、同級生4人から股間をほうきの柄で突かれたり強く握られるなどの暴行を受けた。診察の結果、左睾丸が破裂していたことが明らかになった。少年は登校できる状態ではなくなったが、校長や担任は「診断書は取らなくてよい」「2学期から元気に登校するように」と発言したという。少年は水戸市と同級生4人・保護者を相手に総額3990万円の損害賠償を求める訴えを起こし、秋には転校した。

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この記事に対してたくさんのコメントがあった。

「校長以下の職員教員は全員同じことをされるべきだ」とか

「学校ぐるみ地域ぐるみでいじめを隠していた」とか

「全員死刑にすべきだ」とか

「3990万円は安すぎだ」とか

 

加害者を逮捕したり関係者を激しく非難するのはわかるが、問題はそれだけなのか?

問題はそんな単純ではないと思う

 

むしろ、怖いのは、なぜ級友たちがそのような行為に及んでしまったかである。

 

何かこの国で何か歯車が狂ってしまったように思う

戦後の日本の教育自体が哲学のないものになってしまったのも原因のように思える。

 

商売だって学問だって芸能だって

それなりの哲学が昔はあった

 

でも今の日本にはあらゆるものに哲学がない

人を愛するとか命をいつくしむという気持ちもない

 

教員というのはただ教員免許状をもっているからできるのか?

そんなことはないだろう

 

人を教え導くというのは大変価値のある仕事でありながら

もっとも責任の重い仕事だと思う

 

一方、教育は学校でだけなされるわけではない

そもそも旧友の睾丸を潰してしまうようなことをする子どもの親は何をしているのだろうか

 

どんなに家族のために会社のために忙しく働いても

子どもたちを正しく教育できないなら睾丸より大きなもの=モラル社会=を潰すことになる

 

他人様の睾丸を潰し、その青年の人生まで破壊してしまうような行為を

平気でさせてしまう親や環境が恐ろしい

 

俺は祖国日本を離れたことを必ずしも幸いとは思っていないが

こんな狂った祖国のニュースを聞くのは悲しい

 

少なくともタイの中学生はもっと単純なことで喧嘩している

 

俺は特定の宗教が信じていないが

日本には宗教心のようなものがないのか

 

日本人は心をどこに置き忘れたのだ

腹立たしくて仕方ない

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