洗脳の最大の目的は
洗脳されていることを気づかせないことだ
数千年の歴史の中で、善悪の判断よりも
ハートの痛みよりも
いつも周りからどう見られているかという”恐怖”が
長い年月を経てわれわれのDNAに組み込まれてしまったのかもしれない
洗脳とは”怖れ”を巧みに利用した教育法で
決して愛からは発していないのは確かだ
日本にいる人々は何か行動を起こすたびに
まず社会性とか世間体を心配してしまう
それが自分の欲することであっても、まず世間からどう見られるかを
心配してしまうのだ (なんてことだ・・・と私は思う)
われわれは”秩序”とか”礼節”とかいう
一見響きの良いまやかしの言葉に縛られているのだけなのかもしれない
外出するときも、友人を家に呼ぶときも
他からどう見られているかを絶えず気にする
このエチケットとかマナーとか呼ばれるものは
実は社会からどう評価かが気になる、という感情から発している
うわさされるのはひどく怖いものだから
”あの人は自分を客観視できる人だ”、とか ”あの人は相手に対する気遣いがある人だ”とか
一見、評価されているようにも聞こえるが
それは世間からたたかれないようにどこかで【自分自身を殺しているのである】
本物の自己というのは心の奥深い部分にあって
あるべき姿を知っているが、それを封じ込めてしまうと内部が腐り始める
日本の存在する見えない魔物
その魔物が自己崩壊を推し進めているのだ
それこそ洗脳王国日本にある闇の力だ
われわれはこの国においてどんな風に洗脳されるのか・・・
幼い頃は親から・・・家庭におけるしつけ、家庭教育と呼ばれるもの
学生時代は学校で・・・学校教育、広い意味での洗脳はここで行われる
大人になってからは職場から・・・職場倫理、社会への適用とは何かを徹底的に叩き込まれるが、実際は
上部の人間に忠実に仕えること、これこそ出世であり、国民本来の利益や社会への貢献とは全く違うことを知らされる
だがこの時点で気づいても、ある程度の待遇を得てしまっているので、後戻りできないような仕組みになっている
(だから給料は罠なのだ・・・)
われわれのほとんどが上記それぞれの領域で徹底した洗脳を受ける
(だが90%の人間はそれに気がつかずに成長し、社会人になってしまう、その後は社会のシステムから絶対に抜け出られない領域まで入ってしまう)
洗脳は上記の場所だけではない
地域、音声メディア(テレビ・ラジオ)、人の意見、視覚メディア(新聞・雑誌・駅前で配られるチラシ広告から電車の中吊り広告まで)
などすべてが洗脳の材料になっている
仕事から家に帰ってテレビをつければ
そこでも洗脳が行われている
コマーシャルは「あれを買いなさい、そうすれば幸せになれますよ」
と脳裏に植えつける
おかしなことに、われわれは必要ないと思っていても
ハンサムな青年やまばゆいばかりの美女が勧めるものなら
買ってみようという気になる
実はそれはすべて洗脳だったのだ
洗脳の優れている点は、洗脳されてよかったと感じる人がいることでもある
実際は、自分でも気がつかなかった欲望に気が付き、それを満たすことに一生を捧げることもあるだろう
さて、孤独な日本人はメディアが提供するものをまじめな気晴らしだとか、娯楽だと思っている
正式に見えるニュースであれ、ごもっともに思える経済の話であれ
くっだらない芸能人の馬鹿番組であれ、科学番組であれ
すべては一部の人間(支配者)の思い通りに大衆が動くように作られた意図的な洗脳材料だというのに
われわれはそれに気づくこともなく、何の気なしに日々を過ごしていく
「日本人はこうあらねばならない、こうしなければならない」という思想は
一見、平和と秩序を維持するための有益な教えのように思われるが
ゆくゆくは有能な国家の兵隊となるべく教育されているわけだ
国家の兵隊とは、疑うことなく税金を納めて働く者のことだ
サラリーマンは勤労を美徳とし、上層部を養うためだけに働く忠実な働き蜂となる
その見返りとしてわずかな報酬(給料)を与えられるが
家族と過ごす時間はなく
生涯にわたって数日の休暇と狭い家しか与えられない
それも元値の3倍もするローンで買わされるわけだ
実際には何もしていない銀行という腐りきった組織を支えるために作られた見事なシステムだ
(本当は国は無利子で国民に住宅のための金を貸せるのに、それを行使しないのは、政府と銀行が同じ血族だからだ、と誰かが言っていた)
国のため、家族のため、ローンのため、現在のハイクオリティー(?)の生活を維持するため
というわけのわからない、はっきり言ってまったく意味のない宗教的思想が奴隷のように働くことを美徳のように思わせている
(これを疑う人はいないだろう、だってみんなそうしているのだから)
だが、心の底から幸せだと感じている人はほとんどいないのではないか?
それは実際の人々の目を見ればわかることだ
目は心の窓というが
私が見た限り日本の人々が幸せそうではないのはわかる
今年の4月、久しぶりに日本に一時帰国して、山手線に乗ったが
春の暖かい太陽が差し込む車内にあっても
人々の顔は暗く、表情は沈んでいた
いったいどうしてなのだろう
この整然とした、清潔で、機能的な、東京に暮らしていて
どうして、みんな、うれしそうでないのか?
これならまだバンコクとか私の住んでるパタヤーにいる人々のほうが幸せに見える
そうか!
人はハイテク製品に囲まれているから幸せなのではないのだ
道路や鉄道が整備されているから幸せになるのではないのだ
人は他人に左右されない自分を自由に表現できるとき
一番幸せなのだ
自らの人生を世間体という拘束に巻き取られてしまった人々は
社会の背後に洗脳があることも知らずに
日々日々こんなものかと生きている
その操作にほとんどの人は気づいていない
洗脳王国は大衆を操作できた点では成功したといえる
だが、内なる声までは征服できなかった点で失敗している
われわれの中に必ず、目を覚ましているものがいる
これはおかしいと言うものがいる
いや、われわれひとりひとりは
内面の奥深いところではそこに気がついている
ただ、表面を怖れが覆っていて、それを封じ込めてしまうだけなのだ
では見えない洗脳のトリックから逃れる方法はないのか?
私は方法は2つあると思う
”内なる声に耳を傾ける”か
”この国を一度出る”かだ
少なくとも国外に出れば、この国の茶番がわかるだろう
そして、できるだけテレビや新聞は見ないことだ
いつも自分の内なる声を大切にすることだと思う
いつも自分の感覚を信じることだと思う
日本に住んでいるということは、山の手線に乗っているようなものだ
あの目的地のない電車
東京を出発して、次は有楽町、品川、大崎、恵比寿、渋谷と進む
そして池袋に戻り、上野に戻り、また東京に戻ってゆく
こうして10年10日のごとく
この数十年間
われわれ日本人はどこかへ進んでいるようでいて、どこにも進んでいない
ただ歳月だけが過ぎている
5年、10年、20年ずっと同じところを走っている
体だけが確実に老化し、死が近づいている
臨終の床にあってもなお世間を怖れ
ああずっと怖れに支配されてきたことを思い
この世での務めを終えるくらいなら
せめて残りの時間を自分のために使い
世間を恐れず、洗脳に抵抗して生きればよいのに
と私は思うのですが・・・・
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