=値段が高いという人に関しての分析結果=

値段に関して、私たちとしては正直わからないことが多い


高い安いというのはお客様の感覚だと思うので・・・


私個人としては、弊社の売値は最低だと思っている。


だが、高いと思っている人も少なからずいるようだ。


でも、そうででないとこちらでの生活は成り立たないのだから仕方がない。


ボランティアだとやしの木は存続できない。


というかボランティアで存続できるようなシステムをまだ構築できていない。

サービスとは、自分ができない、他人に頼らなくてはならない、という事情が生じたときにそれを助けるのがサービスだと思うが、高いというなら、それを買わないというチョイスもお客さんにはあるはずだ。


それを無理して買って欲しくはないのだ。お客さんにとって不本意な行為は害にしかならないのだから。


逆にどうしても欲しいという人は値段に関係なく買うのだから。


エコノミークラスの何倍もするビジネスクラスに乗る人は、”ビジネスって安いですね” と言って乗ってはいないと思う。


だが、その快適さは十分に分かっている。

お金よりも快適さにこだわって乗っているのだ。


必要だから乗っているのだ。


高いのはわかっているのである。


それをここで議論しても仕方がないが、いままでの【値段に関する不平】を言った人に関して、

過去の生活や人生観を聞き取りし、結果を集計したら、次のような傾向があることが分かった


1)一回きりのご利用の人が多い
(ちょっと利用させてください・・・と言った人でリピーターになった人はいない、いわゆるトライアルとして利用した客はほぼ固定客にはならない)


2)いわゆる男遊びにはまっている人は、値段に関しての不満が多い
(意外にも年収や容姿が良い人が多い、但し、概して表情は乏しく、ほとんど笑ったり、はにかんだり、はしゃいだりしない、常に抑制されている表情をする、冷たい上司のような目つきをしている人が多い)


3)特定の男の子ではなく、不特定多数の男の子と絶えずセックスを好む傾向がある(いわゆる好色系の人、そしてボーイ君に対しても不満を持っていることが多い)


4)誰かを好きになった経験がほぼゼロに等しく、誰かから愛されたことも、誰を愛したこともない、と感じている


5)将来に関して、永遠の絶望および孤独を感じている人が多い(永久悲観型&無感情タイプの人)


6)いわゆる名の知れた一流企業に勤めている場合が多い(安定した収入を求め、それがなによりと思っている、これは偉いが、すべては怖れが元になっている)


7)幼少期のいじめや青年期の恋愛で失敗し、そのトラウマがいまだに強く残っている人が多い


8)両親またはどちらかが世間で言う成功者で、かつ権威主義的かつ抑圧的で、精神的にも肉体的にも温かい気持ちで包まれたことがない(家族愛に飢えている)と感じている人が多い


9)日本国内の2丁目や売り専で激しく浪費している人が多い(収入がある時期はそれが可能だが、抑えられない消費が手持ちを余計少なくさせている)


10)日本で十中八九、好きな仕事をしていない
(これが最大の不満の原因であることが多い)

これらが留まることのない不満と疑いを呼び、人を許せなくなり、自己の欲望充足のみに専念するようになるわけだ


自己の欲望充足以外考えられなくなった人間はすべてに関して、不満を言うようになる


その人が気がつかない限り、最終的にはその不満に埋れて死ぬことになるのだ


これらの人々に対して


【不満に溺れて死ねばいい】


言ってやりたい感情に囚われることがあるが


せめてこの”馬鹿高い” わが社を使ってくれたなら、笑顔で送り出してあげるべきなのだろう


”お客様、ご利用ありがとうございました。”


”また、お会いできることを心より楽しみにしております。”


そういって・・・送り出してあげたい


そういう人こそ愛情に飢えているのだから


不平不満の表明こそ愛情を求めて叫んでいる行為に他ならない

【貧乏人は買わなくていい!】

【貧乏人は買わなくていい!】

ひどいタイトルかもしれないが、いわゆる生活に困窮している人たちに向かってのメッセージではない

考える力と心が貧しい人に向かってのメッセージだ

コンビニで売ってる水は100円で買えるけど

砂漠の真ん中で水を買おうとすると1万円する

どっちが高いだろうか?

モノの値段は高い安いじゃないんだよ

砂漠の真ん中で水が1万円しようが100万円しようが

買う人は買うの

だって欲しい人は欲しいんだから


モノの価値というのはそういうもの

欲しくなければ買わなければいいの

お客さんには買わないってチョイスもあるの

シンプルでしょ?


よくよく考えてみて

誰が給水設備もない場所で

水を売ることができるというの?

でも水は生きるために絶対必要なもの

その時、のどがカラカラに渇いていて今にも死にそうなら、それは命の水ということになる


砂漠で水を売るということはすごいことなの

砂漠で水を供給するための

システムとか手間とか膨大なコストがかかっているんだと思うよ

だから1万円の値段がついているわけだ


これを理解できるかどうかはその人にかかっている

そして利用するかどうかは

まったく、消費者のチョイスだ


オレは砂漠なんかには行かない

ずっと自分の部屋にいるってチョイスだってできる

でも、一歩外に出ようとするとそこは別世界なんだ

特に海外でそれなりのサービスを得たいと思うなら

代償はかかるのが当たり前でしょう?