私たちは、やむを得ず給油所の目の前にあるスーパー風のTesco Lotus Expressというコンビニで少し涼みながら休むことにした(ここには椅子もイートインもなかったが)
すでにスーツケースはトランクに入っているし、午後1時(13:00)近くになる汗だくのバンコクで、スーツケースを引っ張って、あてもなく歩く気にはなれなかった。
そもそもドライバーは給油が終わったあと、さっさとどっかへ行ってしまった。(きっとお昼を食べに行ったのだろう)
待つこと20分、ドライバーは戻ってこなかった。
業を煮やした私は、GrabアプリにあるHelp for Rescue・Call Police(緊急支援要請、警察へ電話)のボタンを押そうとした。
そのときケンが「ちょっとトイレに行ってくる」と言ってトイレに行ったら
そこには着替えをしている(水浴びをしている)ドライバーの姿があった。
【ドライバーはこのミラージュで寝泊まりしている!!】
のだと気づいた。
それもそのはず、車内には体臭、というか汗臭いとも生臭いとも言える異臭が漂っていたのだ。
壁にはところどころシミもあった。足元にはボロボロにすり切れた下敷きとジャッキアップ(パンク修理のとき使う工具)が信号で止まるたび、足元で出たり入ったりしていた。
このようなとき、どうしたら自分の機嫌を取ることができるだろう、と私は思っていた。
【最高にユニークな車両だな!】
と思うしかない、と思った。
(現実には涙が出そうであった)
そもそも、ドライバーだって悪気があるわけじゃない、ベストを尽くしているんだ。ミュージシャンみたいだから、バンドでもやっているんだろう、バンドだけじゃ食えないから、Grabのドライバーでバイトしているんだろう。
そう思うと応援してあげようかな、という気持ちになった。
そういう気持ちになるとしばらくは許せた。
【こういう人間の気持ちをほぐすには、心温まる会話だ】
そう思った私は、翻訳アプリを使っていろいろ【質問】をしてみた (結果的にはさらに相手をいい気にさせただけだったが・・・)
【あなたはミュージシャンなの?】
【X JAPANって知ってる?】
【どんな音楽が好きなの?】
ドライバーはこれらの質問に快く答えてくれ、答えはすべて肯定的だった。
気分を良くしたついでに、頼んでもいないのに【音楽のプレゼント】をしてくれた
それも自作のスピーカーを使って、大音量で。
ケンは「あなたが余計なことを言うから・・・」と迷惑そうなをした
それから私たちがパタヤーに着くまでの3時間弱、彼が好きだというどんちゃん音楽をたっぷり聴かされることになったのだ。
読者のみなさんにも音楽好きはいるだろう。
だが、自分で好んで聞く曲と、強制的に聞かされる曲との違いをご存知だろうか?
【好きでもない音楽を聴かされるのは、苦痛であり、音を使った拷問以外の何物でもない】
ことをわかっていただきたい。
残念ながら、この音による拷問はほんの前菜であった。
本当の地獄は、モーターウェイ(高速道)に入ってからだった。
Mitsubishiの蜃気楼(ミラージュ)は古くなったエンジンをうんうん唸らせながら高速道路を走りだした。
そのうなり声はまるで屠殺場で、牛や豚が命を絶たれる瞬間のような声であった。
ドライバーは、【いまどき珍しいクラクションの達人】であった。
走行中にあれほど不必要にクラクションを鳴らすのを見るのは、ベトナム旅行以来であった。
追い越す車ごとに「やあ、おはよう!こんにちは!」のごとく、どんどんクラクションを鳴らしまくるのだ。
タイには三菱のクラクションをここまで愛してやまないドライバーがいることを本社に伝えたくなった。
高速道でのショーはこれでは終わらなかった。
自称ミュージシャン(ドライバー)は、音楽に合わせて体を前後に振り、歌まで歌ってくれた。
ドライバーは路上でのアトラクションならぬ車上アトラクション、それも最高のアトラクションを見せてくれた(それは私たちがお願いしたものでは決してなかったが・・・)
最近のドライバーは、運転だけでなく、ガイドも、おしゃべりも、歌も踊りも披露もしてくれるんだ、と感心した(ミラージュの全機能を駆使しながら)
このドライバー、さらに熱心なエンターテイナーであることがわかった。
我々が、最もスリル(恐怖)とエキサイティング(絶望)を覚えたのは、彼の度重なる【無謀かつ無意味な車線変更】であった。
追い越されては追い抜く、追い越されては追い抜く、この一見訳のわからないような行為を、何度も何度も車線変更をしながら、まるで【エクササイズ】のように繰り返すのであった。
(きっと彼は日頃の運動不足をこれで解消しているのだ、と思った、いやいやもしかしたら、眠気に襲われて居眠り運転をするのを防いでいるのかもしれない、なかなかできたドライバーだ、と感心した)
ケンの頬からは涙が流れ出していた
「ここまで来たんだから、もう死んでもいいよね」
ケンはそんなことをつぶやいていた。