思えば2003年に日本を出て、世界を放浪したあと、このタイに辿り着いた私たち。パタヤーで開業して死ぬかと思ったけど、幸い良いお客様たちに恵まれて、この15年間、なんとか衣食住は確保された。年に数度の一時帰国もできるようになった。
入管や税務署に追い回され、絶体絶命と思った時もあったけど、なんとかきょうまで生き延びてこれた。
良い思い、悪い思い、楽しい思い、美味しい思い、つらい思い、死にたくなる思い、など数えきれないほどしてきたけど、いまもこうして二人でいられること、健康でいられることに感謝している。
【俺たちは相当ツイていた】
【すべてのことに感謝すべき】
なんだと思った。
そう思うとすべてが許せそうになった。
だが、そんな崇高な気持ちを打ち消すべく、ドライバーさんの、【無料】の高速アトラクションはさらに続いた。
ドライバーは、さらに私たちを喜ばせようと、車全体を使って、音楽を奏で始めた。
車の前方もしくは後方が、路面との摩擦でキリキリ音を立てるようになった。
車全体が狂ったバイオリンのようであり、ドラムのようであった。
「ああ、神様、パタヤーまで無事辿り着けますように」
とケンは手を合わせて祈った。
車体と路面とのこすり合いはさらにひどくなった。摩擦がピークに達すると、車は過熱し、しまいには火を噴くようになる。
(チ○コの摩擦がピークに達すると普通は射精という快楽が訪れるのだが、車の摩擦がピークに達すると炎上ということになるのだ!!)
どんな金属も高温になると、煙を吹くようになるのだから、車体が炎上すれば、やがて警察と消防車が到着することになる。
タイでは、そのあとでゆっくりと救急隊が到着することになるわけだが、
こんがり焼けた3本の人間ソーセージの私たちが、おんぼろミラージュから運び出される
という図式だ。
そんな場面を想像していると、
私たちは映画に出させてもらっているような気分になり
【クリスマスプレゼント以上のものをもらったのではないか】
と思え、ついうれしくなった。
【ああ、これで、私たちの、この地球での、義務も終わりになるのか】
と思うと、とても気分が軽くなった。
17年前に日本を出て、海外を放浪しまくり、漂った結果がこれなのだ、と思った。
一方で・・・
結婚もせず、子どももできず、ただ同性が好きだ、というだけで差別され、肩身の狭い思いをさせられ、虐げられて来た同胞達を15年間助けてきた、という自負もあった。
でも、その結末は、この馬鹿ミュージシャンと、うんこミラージュに焼き殺されることになるとは・・・。
うれしんだけど、やっぱり、涙がでてきた。
私は誓った
もし、自分たちが、生きて、再び、自宅に戻れたなら、このドライバーに、心ばかりのお礼をしよう、と。
それも私たちが味わった苦痛以上の贈り物をしよう、と思った。
そして、お世話になったお客様たちに精一杯のお礼をしよう。
もし、私たちに来年という年が与えられたなら、さらに一生懸命働こう
そう誓った。
かくして通常の2倍以上の時間をかけて無事パタヤーの自宅に戻った私たちであった。
「バスで戻るより疲れたね」
「生きて帰れたから良かったけど」
とケンは言った。
時計は午後4時(16:00)を過ぎていた。
バンコクを出発したのが正午(12:00)過ぎであったので、トータルで4時間かかったわけだ。
命だけは助かった、でも疲労はピークに達し、気分は悪かった。
今回の件をGrabサポートに報告すべきだろうか?
あの車に、あのドライバーじゃ、次に乗る人が可哀想、と思った。
事故は起きてからでは遅い、なんとかしなければ
と思いながらその晩は床へ就いた
翌朝起きて、やはりこの事件は、Grabへ報告することにした。
だって・・・
【あれでは次に利用する人が危険にさらされる】
【ああいうドライバーは存在してはならない】
【ああいうドライバーには厳しい処分と再訓練がなされるべきだ】
という気持ちがあったからだ
翌日、私はGrabに私たちが受けた被害と損害について、途中撮影した車体や現場の証拠写真をもって報告した。
意外にもGrabはかなり厳しい処分をこのドライバーに下した
実際Grabはどのような処分をドライバーに下したのだろう。
詳しいことは次の機会にお話させていただきたいと思います。