ヨガを甘くみていた私の誤算

ヨガ道場はアベニューショッピングセンターのカリフォリニアフィットネスセンターにあり、生まれて初めてのヨガ体験は午前8時15分から始まった

初回の講習に備え8時前には道場に入っていた

【嫌いな体育教師たち】

昔からダンスや体操のたぐいは大嫌いだった

運動神経も切れていた自分だが

何より嫌いだったのは、それらの教師たちから浴びせられた罵声

”そこのあなた、ステップが違ってますよ”

”おいお前、もっと腰を入れろ”

”何度言ったらわかるんだ”

学生時代の自分は、数知れぬほど教師たちから

うすのろ、間抜け、うんどう音痴、何度教えても覚えないヤツ

ぎこちないヤツ、うどの大木 と言われ続けてきた

それはそのまま体育教師たちへの憎しみとなって記憶に刻まれていた

しかし、今回のヨガ体験は、夫婦喧嘩の埋め合わせと傲慢な自己戒めも含めた過去に向き合う体験だった

それにしても

人から命令されるのが嫌いなワタシは

知能が低いくせに人にあれこれ指示する体育教師(インストラクター)という存在が嫌いだった

(いまのスポーツインストラクターは命令なんかしないだろう、うまくやる気にさせて通わせるのだ)

もし、きょうのヨガの教師がワタクシにいちゃもんでもつけようものなら、客の立場を利用して言いがかりをつけてやる!

とは言っていたものの

「黙って従ったほうがいいよ」というケンジの言葉に諭され

1時間だけ黙ることにした

【若い男性が教師だったら従うかも・・・】

ヨガ道場の前で受付を済ませると、若い背の高い男性がインストラクターらしき格好で立っていた。

きっとこの人が先生に違いない、だって道場のすぐそばにいるもん、顔は昔の京本正樹そっくりだ、体格は京本正樹よりもずっとがっちりしている

頭の中で不謹慎な想像をしながらも、きょうはこの人にヨガを教われるのだと、その幸運に勝手に感謝した

(勝手に感謝しただけで、実際には誰が教えてくれるかそのときはまだ分からなかった・・・)

このインストラクターが教えてくれますように、と祈りながら待つこと15分

静かに道場に入ってきたヨガ教師は20代前半とおぼしき小柄な女性だった

特に美人ではないが、妙に神々しいものがあった

その風采からして手厳しいことはいわんだろう

また勝手な思い込みをした

【鬼の女ヨガ教師、静かにマイクを頭にかけると・・・】

ところが、いったんマイクを取るとわけのわからないタイ語と英語で

「きょう初めての人はいますか、ワタシのやることをいちいちよ~く見ていてくださいね」 と静かに、しかし、威厳のある声で言い放った

セッションは1時間だったが

最初の15分は楽勝だった、息を吸ったり吐いたりだ

なんだ、こんなんじゃ、ワタシにだってできるよ、そんな感じだった

次の15分は少し難しい格好をさせられた

まだまだ、耐えられる

その後の15分は難行苦行に値するものだった

あんな格好こんな格好、すべて無理な姿勢ばかりさせられた

服を着てなければ、アクロバットセックスのひとり版だ

途中何度も、絶対恥ずかしくてこんな格好はできないという格好をさせられた

だが、ワタシは明らかにほかの人よりも体が硬く、足が曲がらないことがインストラクターからは見え見えだった

とうとう、インストラクターが巡回を始めた

【神様、彼女をワタシのそばに来させないで・・・】

その願いとは裏腹に、彼女は真っ先にワタシのそばにやってきた

そして、ロングステイしやがった

彼女は悲鳴を上げるワタシに向かって、無理な姿勢を強制するだけでなく

”もっと曲げろ”とか”もっと伸ばせ”とか

痛みを通り越して、体罰ではないかと思われる指示まで平気でしてきた

この鬼インスト女め、ワタシに過去のトラウマを蘇らせるつもりなのか・・・

となりのおばさんのほうがもっと下手だから

そっちへ行ってくれ、と心の中で懇願しながらも

その願いは全然聞き入れられず

彼女はワタシに罰を与えるごとくつきまとった

きょうは最悪!!オンナヨガ教師にいたぶられる日!!

そんなことを言ってはいけない

神様はきょうワタシに新しきを学ぶに伴う「忍従」という

勉強の機会を与えてくださったのだ、と思った

【最後の15分は富士山の9合目を直角に登るようなつらさだった】

が、インストラクターはわれわれに教えながらも

らくらくと難しいスタイルを見せてくれた

参加者のほぼ全員が汗だくになっているのに

彼女は汗ひとつ流さず、涼しい顔をして

ハー、スィー、サム、ソン、ヌン を繰り返している

最後の5分は呼吸を整えるためのセッションだった

彼女はインドのヨガ行者みたいに合掌し

わけのわからぬ言葉を発しながら

近寄りがたい威厳を漂わせていた

最初、鬼のように見えたその顔も

最後は弥勒菩薩(みろくぼさつ)のような顔に見えてきた

この人はプロなんだ、そう思った

彼女は微笑みながら

もし、こちらの境地に来たければ

まじめに修行を積むのですよ

と言っているようだった

それは余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)としたプロの顔だった

「ああ師匠、恐れ入りました・・・」

ヨガを甘く見ていた自分を恥ずかしく思った

ヨガとインストラクターを甘くみていたワタシは

筋肉痛という痛みでその道の奥深さを味わうことになった

【どんな世界にも師匠がおり、その道の達人がいる】

達人の言うことはいつもシンプルだ

『私たちと同じ境地に達したいなら、ひたすら修行しなさい』

それだけです と

道場を出ると、先ほどの京本正樹は受付でネームカードを客に返していた

なんだオフィススタッフだったのか

お読みいただきありがとうございました。

写真1:決してヨガを甘くみてはいけません
写真2:ほっと一息、ヨガ道場からの眺めはいいです


さようなら日本!こんにちはタイ!-眺めはいい

さようなら日本!こんにちはタイ!-ヨガ馬鹿にするな

追伸:これでお客様へ送ろうとしていたお見積りが送れなくなってしまった

お客様、大変申し訳ありません。

囲いを広げろーそうすれば奴隷だってことが分からなくなるから

パタヤーでゲイバーを営むアメリカ人に

現代の日本社会で働く日本人を見事に表現している英文があったから

紹介するよと言われた、かなりショックだった


Make the corral big enough

So they cannot see the fence

And they will think they are FREE


囲いをもっと大きくしろ

そうすれば、柵が見えなくなる

そして、彼らは自由だと感じるだろう




トヨタをはじめとする日本の企業はみな

これをやってきたのだ


【まやかし1】 給料だけではない、福利厚生を大きく見せることによって

他者よりも恵まれている・・・と思わせる(見せかけ)


【まやかし2】 不況に乗じて、お前たちはほかに行くところがあるのか?

お前みたいな人間を雇ってくれるところがどこにあるのか?

同じ給料を誰が払ってくれるんだ?・・・と脅かす(恐怖を煽る)



確かに海外旅行には行ける

好きなものだって買える

たまにはブランド物のバッグも替える


だが、自分の人生だけは自分でコントロールできない

まるで誰かに人生を握られているような感じだ


事実、たいていの日本人の海外旅行は3泊で終わりだ

あっという間に帰国の日がくる


ブランド物は買った瞬間はうれしくても、すぐ飽きる

次々と新しいものを買わされる


モノに振り回されるだけで、本当の楽しみには至らない

消費消費消費に振り回されるだけの世の中


これを日本人は本当の幸せだと感じている

すべては泡のようにはかなく、むなしいくせに



自分で自分の人生を決められないことに気づくこともなく


日々を生きている


あるときふと我に返り、ちょっとだけおかしいなと思いつつも



わがままは身を滅ぼすという思想が頭をもたげてきて


囲いの思想に戻ってしまう



「わがままを言ってはいけない


好き勝手に生きるなんていけないことだ」


そう思って大多数の人間は生きている



「自分らしく生きること」=「わがまま」


という公式がこの国では成り立っている


「世間様から見た幸せ」=「自分の幸せ」


という公式も存在する




本当は日本人は給料が高い奴隷だ


そんなことにさえ気づいていない人も多い




なぜなら、それほど不自由は感じていないから


そう感じないように柵を大きくして


飼われているのだから

じゃあ、どうすりゃいいんだよ


そんな声も聞こえてくる



オレだったらこう答えるよ


「・・・・・・・・・・・・したらいい」


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