睾丸潰されてよかったね!

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こんなタイトルにしようものなら、むかつく人は多いだろう

もちろん、よかったなんて誰も思うはずはないだろう

 

99パーセントの人がこの事件を憤慨し被害者には同情を寄せるだろう。

俺も同じだ。

 

俺自身は20歳のときに急性の耳下腺炎にかかり入院した。いわゆる睾丸がひどく膨れ上がり、たぬきも真っ青な大キンタマの状態になった。もう歩くのがじゃまでじゃまで・・・笑いごとではない

 

かつて球技をやっていたときに自分のタマにボールがぶつかったときの痛さや衝撃を覚えている人もいるだろう

もうそりゃ息できなくくらい痛いのだ、それを下記のニュースの中学生は潰されたんだ

 

男にとって睾丸の破損や障害は男の面子に関わる問題だ

顔は殴られてもいい、だが睾丸だけは困る

 

子種ができないどころの騒ぎではない

男として精子を生産するところ=性を満喫する源泉=なのだから、壊されたら男を否定されたことになる

こんな屈辱があるか、と怒鳴りたい

 

まずは下記のニュースを読んでもらいたい

 

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【いじめで睾丸つぶされた少年を学校は隠蔽工作】

 

水戸市立中の男子生徒(12)は昨年6月30日~7月6日にかけ、同級生4人から股間をほうきの柄で突かれたり強く握られるなどの暴行を受けた。診察の結果、左睾丸が破裂していたことが明らかになった。少年は登校できる状態ではなくなったが、校長や担任は「診断書は取らなくてよい」「2学期から元気に登校するように」と発言したという。少年は水戸市と同級生4人・保護者を相手に総額3990万円の損害賠償を求める訴えを起こし、秋には転校した。

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この記事に対してたくさんのコメントがあった。

「校長以下の職員教員は全員同じことをされるべきだ」とか

「学校ぐるみ地域ぐるみでいじめを隠していた」とか

「全員死刑にすべきだ」とか

「3990万円は安すぎだ」とか

 

加害者を逮捕したり関係者を激しく非難するのはわかるが、問題はそれだけなのか?

問題はそんな単純ではないと思う

 

むしろ、怖いのは、なぜ級友たちがそのような行為に及んでしまったかである。

 

何かこの国で何か歯車が狂ってしまったように思う

戦後の日本の教育自体が哲学のないものになってしまったのも原因のように思える。

 

商売だって学問だって芸能だって

それなりの哲学が昔はあった

 

でも今の日本にはあらゆるものに哲学がない

人を愛するとか命をいつくしむという気持ちもない

 

教員というのはただ教員免許状をもっているからできるのか?

そんなことはないだろう

 

人を教え導くというのは大変価値のある仕事でありながら

もっとも責任の重い仕事だと思う

 

一方、教育は学校でだけなされるわけではない

そもそも旧友の睾丸を潰してしまうようなことをする子どもの親は何をしているのだろうか

 

どんなに家族のために会社のために忙しく働いても

子どもたちを正しく教育できないなら睾丸より大きなもの=モラル社会=を潰すことになる

 

他人様の睾丸を潰し、その青年の人生まで破壊してしまうような行為を

平気でさせてしまう親や環境が恐ろしい

 

俺は祖国日本を離れたことを必ずしも幸いとは思っていないが

こんな狂った祖国のニュースを聞くのは悲しい

 

少なくともタイの中学生はもっと単純なことで喧嘩している

 

俺は特定の宗教が信じていないが

日本には宗教心のようなものがないのか

 

日本人は心をどこに置き忘れたのだ

腹立たしくて仕方ない

日本の会社、もっと気持ちよく休みをちょうだい!

タイは日本からちょうど良い距離にあると思う。


海外旅行が特別なことではなくなってきた昨今、3泊4日で気軽にタイを往復できるようになった。

(本当は気軽ではなく、かなり体力的にしんどい旅なのですが・・・)


だが、休みを取ってタイに来る人、特に会社員などお勤めの人の場合、簡単に休みが取れるわけではない。 みんな苦労して休みを確保している。


休暇というのは本来、自分で決めていいものだ(労働基準法上の有給休暇の時季決定権は上司ではなく、本人が行使できるものだ、ちなみに”時期”ではなく”時季”という字を使います)


だが、実際は何日も前から上司や上役に根回しをし、あるいは部下にだって根回しや指示をして、やっと休みに出られるのだ。


しかも、

「どこへ行くのだ?」

とか

「何をするのだ?」

とかしつこく聞かれ、ある人は「実家に帰ります」とか「法事です」とか、本来しなくても良い言い訳をする。(要するに不本意なウソをつかされるのだ)


そもそも有給休暇の内容を説明する義務はないのだ。連絡先だって報告する義務もない。(不在中の連絡先を記す義務があると思っている人がいるが、それでは完全な休暇とならないではないか?)


あなたはいつも会社とつながっていたいのか?

(つながっていたいのは彼氏とだろう?)


お客さんを見ていて気がついたことだが、海外にいても携帯電話を常時ONにしていて、いつ日本から呼び出しが来てもいいようにしている!


海外で携帯を受けてもすぐに飛んで帰れるわけないじゃないか!


今の日本、何かが間違っている。


たかが3泊4日の旅行で、まるで総理大臣のように構えなければならないなんて。


国家の非常事態でもあるまいし、自分ひとり会社にいなくても会社は回っていくはずだ。


それを24時間365日拘束しようなんて、中世の奴隷ではないのか?いやその時代の奴隷のほうが楽だったかもしれない。


しかも、タイに行きますと素直に答えると

「なんでタイなの?」

「どうしていつもタイばかり行くの?」

と疑惑のまなざしを向けられる!


俺がどこ行こうと関係ないではないか!!!(そういぶかっているお客さんも多い)


今の日本、やっぱりどうかしている。


タイから日本に帰国するともう1ヶ月もしないうちに次の訪タイのために飛行機を予約する。


「だって1ヶ月ももたないんです!」

「次の訪タイ予定を入れないと落ち着かないんです!」

とは毎月来るお客さんの声


私はタイに来てから、海外旅行には全く興味がなくなった。


以前はそれこそ毎月のようにアジア、北米、ヨーロッパ、オセアニアを回っていたのだが、ある日突然むなしくなったのだ。


いやむなしくなってもしばらくは海外逃避をやめることができなかった。

そのときの自分にとって大事なのはお金よりも飛び立てる”自由”だったのだ。


”とにかく俺、タイに行かないとやってられないんです”

そういう人は数え切れない


日本の会社たちが、こういった人々の精神的ケアーというか、人生の方向性に対して、なんらかの有効な対策を打たない限り、この国は精神的に近く崩壊するだろう。


財政的には事実上破綻している国なのだから、あとは精神面の崩壊を待つしかないのだろうか?


私は個人的には、他人から取ることばかり考え、与えることをしてこなかったみみっちい島国根性に根ざした経済感覚が今の結果を招いているのだと思う。


普通、充実した旅行をして帰ってくれば、翌日から仕事に打ち込めるようになり、日本での人生を楽しめるはずだ。 どうして自国でイキイキ暮らせないのだ?


それがどうして、中毒のようにタイにあるいはほかの国に通わなければならなくなるのか?


そこには何か得体の知れない抑圧感と圧迫感が鎮座しているように思える。


私はパタヤーにいて、日本の人たちの精神的将来が気になって仕方がない。