大学時代を振り返ってみると自分は4年間彼氏がいたのであるが、実は最後の1年間は女がいたのである
彼氏は俺とのセックスに飽きていたし、俺もそうだった
俺は自分の中に居座る暴れ馬を沈めるため、夜になると赤坂、青山、六本木などを徘徊した
たった1科目の不可で4年次に留年したので最後の1年はすごく暇だった。上記3地点だけでなく、広尾、恵比寿、浅草などもうろついた。
これらの6地点には共通点があった
いずれも東京でもっとも外人出没率の高いエリアだったのだ
そうだ俺は外人の女が好きだったのだ
外人女と言っても、モンゴル女とかニューギニア女ではなく
アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人、カナダ人など英語圏から来ている女性だった
しかも知的レベルの高い女性、大使館や大学などに出入りしている女性と知り合いになりたかった
別にそういう女とヤリたかったわけではなかった
ただ、俺には英会話学校に行く金がなかった
半年以内にアメリカに行くことを決めていた俺は
とにかくタダでやらせてもらう女を捜していた
セックスではなく、英会話を教えてくれる女をだった
そしてその代わり日本語を教えてあげるという約束だった
上記6地点での外人女ハントの成果は◎だった
アレクサンドリア、ジャン、マリア、リサ、ギルダ、レナータ、ソニア、キャシー、デボラ、クリスティン、クリスティーナ、キャロライン、アニータ、キャローラ、アン、ジュディ、メアリーアン、アイリーン、アイリスなど次々と女はかかってきた。
マリア、ソニア、レナータ、アニータなど一部ラテンの女もいたが、自分よりうまい英語だったので相手にすることにした
時間を決めて相手のアパートに行き、最初の1時間英語を教えてもらい、次の1時間に日本語を教えるというものだった。
レッスンは外人女を知るよい機会となった。
それどころか”お釣り”までもらってしまった。
なかでもジャンは俺を気に入ってくれ、テキサス料理まで作ってくれた。ユーモアのセンスに富み、とても積極的なアメリカ人女性だった。
だが、この女は下半身も積極的だった
「ハイスクールのときはアタシを見て振り向かなかった男はいなかったのよ」
と豪語していた。
確かにジャンは金髪でスタイルも良く、デートしていると人目をよく引い
た。俺はいやだったが、彼女は気にしないで颯爽と歩いていた。
じっと見つめる男たちにたどたどしい日本語で
みる1,000円、さわる5,000円、やる1万円だよ
と平気で言ってのけていた
(すごい女だな、と思った)
ジャンの写真を大学の級友たちに見せると、もうやったのか、俺もやらせろ、と口々に言われた
ある日ジャンは俺を誘ってきた。レッスンの終わりにいきなりキスをしてきて「ねえ、きょうは帰らないで」と俺の手を自分の胸に無理やり当てさせた
ジャンは知っていたのだ、大勢の日本の男がおっぱいに弱いことを
今となっては笑い話だが
彼女はえげつない日本語で言っていた
アメリカ大っきい国、すごい国
おっぱいもおっきい国、すごい国
彼女のされるがままに、俺はふでおろしされた
当時彼女は32歳、自分は22歳、今思えば
十歳も年上のババアから童貞を奪われたのだった
ゴメンね彼氏、俺はストレートだったの