ゴールデンウィークという言葉と無縁になってから7年が経つ
当時は休みの前日遅くまで働いて
仕事が終わると4月29日の午前になることが多かった
慌てて荷造りをして早朝の成田エクスプレスに乗る
サラリーマン当時のゴールデンウィークはフィリピンの離島か香港と決まっていた
ゴールデンウィークはたった5泊(いやときには3泊ということもあった)なのだから必死だった
だって旅行から戻れば
また奴隷に戻るんだから
せめてこの数日は楽しまねば・・・
自分にとっての”必死”とはそんなケチくさい願望のことだった
でも帰路の飛行機の中はいつも面白くなかった
あーあー、また明日からまた会社かよ
でも、仕事がないよりましだよな
そんな言い聞かせを自分にしていた
それでも気分はしっくり行かなかった
こんなことが永遠に続くのだろうか・・・
いつまで経っても自由は来ないのかな・・・
それが奴隷(サラリーマン)の暮らしってことか・・・
自分にはそれしかできないのかな・・・
そんなことを思いながらの20代、30代だった
言葉通り現実の20代も30代も
自分のゴールデンウィークは
ただただストレスを散らすだけの休暇だった
金を使うだめの無意味なゴールデンウィーク
ひたすら飛行機に乗っていた
何を考えていたのか
何も見出せなかった
自分が自分であることを見出すこともできず
気がつけば
一体自分は何をしているのだろう?
そんなことを自問してばかりもいた
本当に自分の好きなことも
夢も
やりたいことも
何一つわからなかった
いつまでもらえるかわからない適当な給料のために
会社の同僚や上司に良い顔をし続け
好きでもない仕事をやり続け
一生を終わるのだろうか?
オレは一体何のために生きているのだろうか?
なりたい自分とは?
やりたいことって何?
人生の目的は見出せずじまいだった
もう、これ以上こんな無益な休暇を続けても
仕方ないのでは???
そう思い始めたのが40歳のときだった
幸い40歳にして初めて
自分のやるべきことを悟ったのだ
それはなんとしても(どんなことをしても)
後悔しない生き方をすることだった
後悔しない生き方とは
半端ではなく大変な生き方かもしれない
だが、後悔しなくて良い、というのはすごいと思う
相変わらず迷うことは多いが
すべてを自分で決めて、行動できているのだから
今自分は幸せだ、と言える
またこうして、自分で結果を出せているのだから
ゴールデンな生き方とは
自分らしく生きられることなのだ
世間が与えてくれた休みがうれしくないことはないが
そもそもそれは世間が勝手に定めた休みなのだ
休みが充実しないのはそれが自分が決めた休みではないからだ
本当の休みとは
自分が休みたいときに
自分の欲するスタイルで
しかも
自分の稼いだ財力で楽しむものだから
それができないなら
無意味な休暇ということになろう
そもそもゴールデンウィークなんて自分からすれば充実した休みにはなり得ないんだ
(って本当は世間の人が羨ましいのかもしれない)