もはやなくなったスポーツマンシップ

試合中は激しくぶつかってもひとたび試合が終ればさわやかな友情?

スポーツを愛する人間は公正であり、礼儀正しく、素直である?

このような思い込みはすでに30年以上前のものとなってしまった

いまやスポーツ選手はカネに弱く、暴力的で、欲まみれ、堕落の象徴とさえなってしまった

日本人スポーツ選手個人の資質が世界的に突出したものになって喜んでいる一方で

彼らの凋落ぶりはひどい

スポーツ界をとりまく環境が良くないのか

若くしてカネや名声をつかむことができてしまうからかえってよくないのか

はたまた、いまだに健在である根性論や何が何でも勝て、みたいな精神がかえって

心弱い選手たちにストレスになっているのか?

いずれにせよ、現代のスポーツマンはまっとうな環境に育っていないように思う

スポーツマンシップとは正しく強い精神についてのことだろう

その精神はいまどこに?

それはとっくの昔にどっかへ行ってしまっている

いまあるのは、カネと欲望、すぐに手に入れられるがすぐに手放すことになる名誉

そして引退後の長い長い生活のやりくりである

かつての花形選手だった若者がいまは生活保護を受けたり、橋の下で暮らしてる

なんてことも欧米ではあるらしい

実業家にもスポーツマンにも必要なのは道徳教育であり

じっくり学ぶという鍛錬期間なのかもしれない

やっぱりカップヌードルみたいにすぐできておいしいなんてことはありえない

熟成された味噌のようなやつが息が長いんだと思う

発酵樽で長いこと忍耐するのは大変だよね

でも、その貴重な熟成の過程を経ないと

バドミントンの選手とか野球の選手みたいになってしまうのかな

若くして名声っていうのは怖いよね

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