在タイ14年目に思う

2004年の8月にスペインからタイに移動し、こちらで生活を始めた私たち(ケンジとひでき)です。

きょうはタイ在住14年目の思いと決意について書きたいと思います。

 

まずもって・・・

14年前、まったく何の考えも、根拠も、確信も、裏づけもなしで、パタヤーで商売を始めたのに

良くぞここまでお客様にきていただいた~、という気持ちです。

奇跡って起きるものなんだな~、という感じです。

 

たくさんのユニークかつコアなパタヤーファンに来ていただき、うれしい限りです。

 

個々のお客様について詳しくご紹介することはできませんが

お客様の職業や地位はさまざまであり、年齢もお住まいになっている場所も本当にバラエティに富んでおります。

お勤めの方はもちろん、お菓子屋さん、税理士さん、飲食店さんなど個人事業主の方々、
歌手や音楽関係の方など、普通に日本で生きていたら出会うことのなかった方ばかりです。

年齢も20代の方から80代の方まで

お住まいも日本は北海道から沖縄

海外は北米からヨーロッパ、中東まで

あらゆる国のあらゆる職業、あらゆる人間関係

人生経験やその奥義についてお聞きすることができます。

これは私たちにとって出会いの醍醐味にほかなりません。

 

特にリピーターとなって20回以上訪タイされているお客様たちをはじめ

15回以上訪タイされているお客様
10回以上訪タイされているお客様
5回以上訪タイされているお客様

に接しておりますと

どうしてそこまでパタヤーを好きになってくださるのだろう?

と、思いますです。

 

リピーターとして戻ってきてくださる理由は一体どこにあるのだろう、と考えるのですが・・・

 

タイ料理?
南国のなま温かい空気?
ボーイ君たちの若い肌?
マッサージ師たちのぬくもり?

一見わかりやすい理由なのですが・・・それだけではないような気がします。

パタヤーとお客様たちとのあいだには
私たちの気づいていない ”何か” があるような気がします。

 

私たちが何か特別な努力をしたのか?

いや、そういうことではないと思います。

やっぱり・・・

この甘くて、辛くて、何でもありの環境
何でも許されている・・・と錯覚する雰囲気
風に揺られるやしの並木
ビーチを行き交う観光客に物売りの人々

それらがお客様の気持ちを緩やかにし
また来たいという気持ちを育んでいるのかもしれません。

これらがお客様に異国情緒を感じさせ、厳しい日常を忘れさせてくれるのかもしれません。

うん、それだけでもなさそうです。

 

お客様たちの動機は何でしょうか?

それは日本(あるいは今いる場所)から ”一時的に離れたい” という願望ではないか、と思われます。

それは現実からの【逃避】でしょうか?

 

逃避という言葉には、本来逃げてはいけないことから逃げているような響きがありますが、そうではないと思います。

それは逃避ではなく【避難】もしくは精神を休めるための【転地療養】なのだ!!と私は思います。

ゲイは不便だが、不幸ではない!

  • ゲイに生まれたからこそ、つきまとう不便、不都合、障害ってあると思う。

会社ではゲイ疑惑の対象にならないかと怖れ

家族からは結婚しろと迫られ

考えてみればわれわれゲイの日常は

苦悩から切り離されることがないように思える

 

これには本当に疲れてしまう

 

お客様のなかにも・・・

自分は問題なく育ちましたが、唯一、孫の顔を見せてやれないことが親不孝だと思っています

と後ろめたさを感じている人も多い

 

一般社会の価値観を適用すれば・・・

子孫も残せないゲイという種族に生きている価値はなく、もう死ぬしかない

のだが・・・

 

そもそも神様は本当にオレ達を苦しめたくてこの世に送ったのだろうか?

いやそんなことはない、と思う。

そうでなくて・・・何か意味があってそうしたのではないか?

 

神様はもしかしたら・・・

お前たちが、一見不利に見える条件をうまく活用すれば、すごく幸せになれるよ!

と逆にチャンスをくれたんじゃないかな?

 

この世には因果というものがあって

われわれゲイに生まれてきた者はすべて

この因果を知って生まれてきたのだと思う

 

あえて平坦ではない道のりをなぜわざと選んで生まれてきたのか 

 

私も若い頃はわからなかったが、40歳になったとき、これが前世からの因果だと思うようになった

 

因果は良いも悪いもないのだから

いっそ

この因果は贈り物と思ったほうがいい

と結論した

 

そして、あえてこの性質(セクシュアリティ)をこの人生で経験することによって

魂のレベルが上がるという設定だから

オレは選ばれた人間

特別な星の下に生まれた人間

普通の人間(ノンケ)だったらできない経験ができる人間

と思った

 

なぜなら・・・

男のアレをしゃぶったり、逞しい裸体にさわったり

夢見るような男に抱かれたり

入れたり入れられたり(笑)

射精のしびれるような快感を味わったり

これを経験できることは何よりの幸せではないか?

 

(忘れがちだが、女性とつきあうことによる複雑な人間関係や妊娠などの煩わしさから解放されることも見過ごせないメリットだ、女性が嫌いと言っているのではありませんよ)

 

上記のようなエロチックな利点以外にも

同性を愛することの喜び

仲間と連帯する楽しさ

差別しないことの価値

強く生きることの価値

われわれはこれを最初からわかっていて

生まれてきたのではないか

 

だとしたら

これは絶対に恩恵なのである

 

 

ゲイは不便で苦労が多くやりきれない、と思うことも多いけど

 

ゲイだからこそ持てる才能がある

ゲイだからこそ味わえる喜びがある

これはゲイに生まれないともらえない特権

に気づくべきだと思う

 

特権なのだから

幸せだなと思えばよい

感謝すればよいのだ

 

この世はふてくされて生きる者が負ける仕組みになっており

感謝して笑顔でいる者が勝つ仕組みになっているらしい

 

ゲイとして生まれてしまったことは負け組に生まれたということでは断じてない

 

これをチャンスだと思って生きることが本当の幸せや成功につながるのだと思う

 

まさに芸(ゲイ)は身を助けるのである

(自分もそう思ってタイにやってきたし、仕事も続けてきた)

 

 

ゲイに生まれたことを嘆いている諸兄がいるなら申し上げたい

 

ゲイに生まれたことは天の恵みだと思うし、神様がわれわれに成長のためにくれたお土産なのだと思う

 

その贈り物を無視して暗く生きるのはやめましょう

 

ノンケ達の前では、敢えて我が身の不幸を嘆くふりをし、相手を油断させ、あとでヤツらを一気に出し抜くのだ

 

本日のまとめ

ゲイに生まれたこと

それは神様から成長を期待され、愛されている証拠

従って、ゲイは不便だが、不幸ではない、という結論に至る