パタヤー沈没組に生きる道はあるのか?(パタヤーなんてずーっと居る街じゃない)

あまりに侮蔑的な内容なので許してください!

と思ったが、このところ強く思うことがあったので思い切って書かせていただいた 

ずーっとパタヤーでバカンスしてるんじゃない!

パタヤーなんて長く居る街ではない

急な山を登りつめて頂上に腰をおろす旅人は、
ほっと一息いれるのが限りない喜びであるが、
もし永久にそうやって休息していろと無理じいされたら、
彼は幸福であるだろうか。

─ スタンダール ─ (『赤と黒』)

人の生き方、さまざまで、どんな風に生きてもいいのかもしれない

それこそ他人の人生に、口出しなんてできないものだが

 

きょうはあえて言わせてもらう

 

 

私(ひでき)自身を含め、正式な意味で、いわゆるリタイア年齢に達していないにも関わらず、パタヤーに長居している人間は多い、日本人も多い、特に男性である

 

パタヤーにおける長居とは、長患いのことであり、それが本来の病気ならまだ回復の見込みもあるのに、この病気にかかると治る手立てもなく、ただ漠然と日々を過ごすようになるのである

 

 

私はこれらの人々を【パタヤー沈没組】と呼んでいる

 

 

なぜ沈没かというと、文字通り、沈没するとは、船が海の底に沈むことであり

もう浮かんでくることが不可能な状態を言うのである

 

 

人間に当てはめれば、再起不能、精神が大きく損傷し、現実社会に復帰することができず、ずっと埋もれたままの人間

エンジン(動力源)が故障(破壊されて)してしまっているので、前へ進むこともできない

そんなどうしようもない状態にある人間を言うのである

 

 

沈没組とは特に30代後半から40代後半にかけての世代である

 

要するに働き盛りの年齢層である

 

 

学校を卒業して社会に入り、社会人をひと通り経験した人間なら、誰でもひと休みしたい、とは思うものだ

(それはわかる!いまの日本、閉塞感がいっぱいだものな、息苦しいと感じるのもわかる)

 

 

 

そんなとき「タイにでも行こうかな・・・」と考え、うっかりタイへ足を踏み入れてしてしまったのが運のつきというもの

 

たまたま訪れたパタヤーにハマってしまい、気がついたときにはリピーターになっていた、というのがよく聞くきっかけのストーリーである

 

 

 

リピーターになった、というと聞こえは良いが、要するに中毒になったのである

 

パタヤー中毒とは、それなしでは生きられない、という依存症のことであり、立派な心の病気である

 

 

いわゆる食欲や睡眠欲などの生理的欲求とちがい

それを止めたからといって死んでしまうわけではない

 

だが、たった数か月あるいは数週間、このパタヤーという麻薬から離れていると

禁断症状が出始め、居てもたっても居られなくなるのである

 

 

 

良識ある社会人は、それでもなんとか己を奮い立たせ

理性を総動員させて、この中毒症状を断ち切り、なんとかまともな社会人に戻ろうと日本へ帰ってゆく

だが、沈没組はそれでもタイに居続けるのだ

 

めでたく日本に戻れた社会人でさえ、パタヤーを恋しく思うらしい

 

 

そういう人は帰国後、2週間もしないうちに、あのパタヤーでの、怪しくも輝いていた時間を思い出したりする、のである

 

これを読んでいる読者がそのような気持ちに共感できるなら

タイ病の兆候があると言えよう

 

でも、あなたが日本に暮らしているのなら

まだ、沈没組ではない

 

あなたの経済的基盤は、日本にあるからだ

連休+有給1日でないとダメなのか?

日本からタイへ旅行に行く場合

典型的なパターンは3泊4日である

 

 

これこそサラリーマンが取れる最も簡単かつ

取りやすい日数でありパターンである

 

 

旅先も近隣アジア諸国(東南アジア等)であることが多い

距離が莫大で行くのに10時間もかかるヨーロッパや北米に3泊4日では行って来れないからである

 

この10年くらいはハッピーマンデー制度で、月曜日=”祝日”が多くなってきたで、金曜日または火曜日に一日有給を取り

土日+(月)祝日1日+1日有給で4日間を確保し

3泊4日という時間を確保するのである

 

この3泊4日を月曜日から木曜日までで取るなどという人もいない 

そんな馬鹿な取り方をする人はいない

 

なぜか?

サラリーマンである以上、有給(欠勤ではなく給料をもらって休める権利)制度があるのだから、それを利用しない手はない。

だからといってそれを堂々と、しかも有効日数すべてを使い切って休みを取る人はほとんどいない。

 

背景に日本人のマナーとして

有給などの権利を行使して

他者に迷惑をかけてはいけない

という意識が働くからであろう

 

休むことは休むけど1日だけ休むなら許されるだろう(文句をつけられないだろう)、という気持ちがどこかにあるのだ

 

他者に迷惑をかけるのもたった1日なら許されるということである

(根底に、”私はまじめに働いていますよ”、”消化する有給だってたった1日なんですから”、という気持ちがあるのだろう)

 

もちろん、他者というのは、顧客、上司、同僚、部下などのことだ

自分が休みを取ると顧客に迷惑がかかるのでは?

自分が休みを取ると上司に迷惑がかかるのでは?

自分が休みを取ると同僚に迷惑がかかるのでは?

自分が休みを取ると部下に迷惑がかかるのでは?

 

「自分が仕事をしないと他者に迷惑がかかる」のは当たり前のことだが

「人に迷惑をかけるのは間違っている」というは正しいようで正しくないと思う。

人間はロボットではないので、いつかは休みを取らねばならない、のは当たり前。身体的な休みだけではなく、精神的にも日常の煩いから解放され、心をまっさらにしたいという思いがある。

これは迷惑行為なのだろうか?

自分の肉体的精神的健康を保つために休む

いわばその積極的な行為が

他人に害をもたらす迷惑行為?

よく理解できない論理である

 

 

サービス業は、途切れないサービスを提供している業界であるから、従業員は交代で休みを取ることがほとんどである

これは顧客にとっては有難いシステムとも言えるが、顧客だってなんらかの仕事をして生活しているわけで

この一見顧客思いの制度は結局、サービスを提供している自分たちをも苦しめているのではないか?

(最近のいくつかの業界でそのことがわかり始めているのは救いだが)

 

どんな業界においても、基本的に担当している部署で自分が抜けるとその業務を誰かに代わってもらう必要がある。

これは当たり前のことだと思うのだが・・・

誰かに仕事を代わってもらうこと⇒これを日本では、他人に迷惑をかけること、と理解されている

 

でも、よくよく考えてみると

この世に他人に迷惑をかけないで生きている人がいるだろうか?

自覚症状のない場合を除いて、他者に迷惑をかけることを喜んでする人がいるだろうか?

そんな人いない、と私は思う

 

みんな休暇を取らねばやってられないから休暇を取るのだ!!

ストレスが溜まりに溜まっているから

休暇を取るのだ!!

もう爆発しそうなのだ!!

 

なかにはいまやってる仕事が三度の飯より好きだ、という人がいるのかもしれない

 

でも大多数の人はやりたくもない仕事を

している、もしくはさせられている、というのが本音だ!!

 

もし、あなたが宝くじに当たって何億円も手にしたらその瞬間に仕事を辞める、というのであれば、それはその仕事が好きで好きでたまらない、というのではない証拠だ

 

好きではない仕事をしている=ストレスが溜まる

は当たり前で、表裏一体である

だが、いつも不思議に思うのは、パタヤーにいる白人たちは

たいてい日本人には信じられない長さである2週間、3週間、いや1ヶ月滞在しているという人が多い

それはリタイア老人だからということではなく

明らかに現役で働いている年齢層もそうなのである

30代、40代、50代のヨーロッパ人が平気でジョムティエンビーチにいたりする

私(ひでき)がパタヤーに来た当初

彼らに手当たり次第、インタビューしてみたことがあったが

「バカンスは当然のことだし、2週間は続けて休むことになっているよ」との答えが圧倒的だった

 

特にヨーロッパ人の場合、数日間の休みは ”休み” とは言わないらしい

彼らにとって”休み”とは最低でも2週間以上の連続休暇を意味するのである

残念ながら、これは文化の違いというしかない

文化?

休みを取らせない企業体質を文化というのか?

 

よく日本人は勤勉というが

本当は勤勉というのでなく単に働かされているだけ

 

つまり、そういうシステムから抜け出せないでいるだけ

ではないだろうか?

 

本当は休もうと思えば休めるのに

休むと罪人扱いされる文化

そして貧乏暇なしを賞賛するような文化

この貧しい文化が

根付いているのかもしれない。

この日本の

仕組み的、制度的あるいは伝統的、歴史的に貧しい文化を

 

”文化” と書いたが風土、考え方、思想、哲学と言い換えても良い

 

この悪しき文化を撲滅し、優れたものに変えてゆく方法はないのか?

 

このように精神だけではなく肉体も監獄状態である日本から抜け出して15年

タイ・パタヤーにおいてストレス晴らしに来る同胞をお世話してきて14年

いまだに日本のこの悪しき習慣を変える方法は思いついていない、悔しい

制度や仕組みを変える前に

日本人には大きな意識改革が必要なのかもしれない

その一方で

こちらに住むわれわれもただ旅人を助けるだけでなく

革命的に大きな知恵を使わなければならないのかもしれない