「売り専を買ってはいけないのか?」
「売り専を買うことは良いことなのか、悪いことなのか?」
「売り専を買うべきではないのか?」
ゲイなら一度はぶつかる疑問である
実はその答えは、すでに質問の中にある。
なぜならそれを正しいと思っている人が極めて少ないため、そういう疑問符(?)をあえてつけているのだ。
たいていの人はわかっているのだ!
そもそも売り専を買うことは
議論するまでもなく、売春行為であり、法律に違反している。
彼氏がいるならそれはすでに裏切り行為であり、姦通罪に匹敵する。
だが、現実にはそれは容認されているし、すべてシークレットで行われるため、あからさまにやめさせることができない
当局(警察)の人間でさえソープに行きたがるわけだから、
完全に取り締まることなんてできないはずだ
人間の業の深さは計り知れないものがあるが、警察の人間だってセックスによって生まれてきたのだから、それを否定できるはずがない、このセックスという神聖な儀式を
さて、売り専を買うことの是非を考える前に、なぜ売り専を買ってしまうのか
あるいは買いたくなるのか、その背景について考えてみたい。
★売り専を買ってしまう原因というか要因は何か?★
まず【性欲】の存在がある。健康な男子なら(いや女性でも)セックスをしたという願望は果てしなく大きい。
次に職場や家庭での【ストレス】がある。人間関係の軋轢だけではなく、描けない将来への【不安】が欲求不満となって、日々もくもくと頭をもたげている。
ゲイならなおさら日頃からストレスが溜まっている。タイプの男の子を街で見かけても声をかけられない、同僚がカッコよくても誘うこともできない、親からはそろそろ結婚ではないか、とせっつかれる。
ゲイは日々、ものすごい量のストレスにさらされている。
それはさらに何かをすることによって発散したい、楽しくて、面白くて、快感であることを求める生理的、根源的な欲求に根ざしているとも言える。
だがそれだけではない。
売り専を買うのはその人の【心が傷ついているから】だ、とオレは思う。
我々は日々、なんとか壊れた心、疲れた心を修復しようとしているのだ。バランスを取ろうとしているのだ。
近い過去から遠い過去にいたるまで、自分は傷ついてきた、本当はもっと誰かを愛したかったのに、もっと素敵な人に出会いたかったのに、好きな人と一緒にいたかったのに、
・・・だが、それが残念ながら叶わなかった
あるいはなんらかの理由で手に入れることができなかった
そういったことに対する悲しさ、悔しさ、寂しさ、やるせなさ
そんな感情に襲われることがある
それが上記の要因と合わさったとき
もう、それはどうしようもない気持ち=衝動となって
襲ってくる