結局、それは私たち在住者の、”心の問題” であり、もし、これからもこのタイもしくはパタヤーという土地に住み続けたいのであれば、どこかで折り合いをつけなければならないことなのです。
この世のどこにも、ユートピアはありません。
少年時代、アメリカはずっと自由の国と思ってきましたが、アメリカで暮らしている日本人から話を聞くと、古き良き時代のアメリカはどこかへ行ってしまい、いまや自由どころか、規制規制、テロ対策だの、犯罪だの、銃社会だの、人種差別だの、重税だの、とっても住みにくい国になってしまった、という話なので、
すべては変わるのだ、ということを思い知らされました。
ここで将来、タイ・パタヤーに移住したいと思っている人には、酷な話ですが、住む前には本当に慎重に、そしてよ~~~~~く考えてから住むべきだとアドバイスさせていただきたい、と思います。
このパタヤーという街が楽しくてしょうがない、もう本当に好きだ、という気持ちは真実ですし、尊いものだと思います。
でも、その気持ちというのは一過性のもの、まやかし、思い込み、である場合が多いものです。
どこも住めば都という言葉がありますが、美人は三日で飽きる、という言葉もあります。当初良く見えていたものも、時間が経てば本当の姿が見えてくる、というたとえです。
ここで暮らすということは、旅行者ではない限りは、やがて、いやおうなしに、見なくてはならない”現実”と向き合わなくてはならない、ということです。
このステップを経ずして、ここに暮らし続けることはできません。
特に若くして(30代、40代)でこちら(パタヤー)に暮らしたいと思っている人は、経済面のことはもちろん、将来の生活設計、健康、人間関係、友人や日本に残した家族との関係、自分に適した職業のこと、精神面のことをよく検討して移住する必要がある、と思います。
南国でなれの果てに高層マンションから飛び降り自殺した日本人、警察に捕まって投獄された日本人、女(男)から騙されてカネだけ取られた日本人、たくさん見てきました。
ブログなどには、”楽ちんタイ移住記” などを書いている人がいますが、誰だって聞きづらい話、はずかしい話は書きたくないもので、書かれていることだけがパタヤーの真実ではない、ということです。
そもそもその人とあなたは同じではありませんし、その人はあなたにタイの良い面だけ、楽しかったことだけを紹介しているだけかもしれません。
なんとかなるさ、というのは勇気のある言葉ではありますが、逆に決断ややるべきことを先送りした人間の末路、も忘れないでいただきたいと思います。
言ってみれば、今回の欧州旅行は、自分にそのような決意があるかどうか(今後タイという国とうまくやっていく覚悟ができるか)、を自問するための旅行でした。
次はヨーロッパ旅で感じたこと(南欧編)について書きたいと思います。
なかなかブログを書いている時間がないので、次の送信までご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いいたします。