ヨーロッパ旅で感じたこと(北欧編)

このたび会社が15周年を迎えるにあたり、記念行事として南欧と北欧を視察する旅行をさせていただきました。タイ暮らしが長くなれば、この辺でアジアを少しお休みして、15年ぶりにヨーロッパを見てみたい、という気持ちになり、思い切って北欧のフィンランドと南欧のスペインを2週間かけて回ることにしました。

それまで19歳のときから、ヨーロッパ各地は旅行していましたが、北欧にはったことがなかったので、あの白夜なるものを見たくて、またケンに白夜というものを見せたくて、ちょうど飛行機がフィンエアーだったので、行きも帰りもヘルシンキ(Helsinki)にストップオーバーし、夏の北欧とはどんなものか体験してみたかったのです。

南欧については、今回スペインだけでしたが、かつて15年前バレンシア地方に3カ月滞在していたこともあり、もう一度地中海を見てみたいという思いと、せめて1週間くらいは何もしないで、海辺でボーっとすごしたい、(普段パタヤーですごしているくせに)という思いがあったので、おもいきって9泊10日、うちマドリード4泊、残り5泊はマジョルカ(Mallorca)島の南東部にあるカラサンタニー(Cala Santanyi)という秘境の海岸に、5泊6日滞在することにしました。

まず、北欧編では、フィンランドに滞在し、感じたことを箇条書きのようにして書いてみました。

この感想は、フィンランド全土を旅行しての感想ではなく、行きに滞在したヘルシンキとその周辺地区、帰りに滞在したバンター地区(空港周辺)で感じたこと、特に東南アジアのタイ在住15年したところで、ヨーロッパを訪れた人間の感想、と思ってくだされば幸いです。

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~~~~~タイ在住日本人がフィンランドに行って感じたこと~~~~~

1)道路はすべて石畳、長く歩いていると疲れる。でもパタヤーのように陥没しておらず、ゴミも落ちておらず、臭いもしない(北欧は基本的に寒いのでゴミはあまり匂わない)

2)街のあちこちに教会があり、この国がヨーロッパのキリスト教国であることがわかる。これはタイの街々に仏教寺院があるのと同じ理屈か。でも、教会がたくさんあり過ぎてどれを見てよいのかわからない。有名な教会やユニークな建物の教会は中国人がいっぱいで見られたものではない。

ヘルシンキ大聖堂(正面ではなく左側から撮影)

 

3)到着時のヘルシンキ空港には大勢の中国人が入国審査の列に並んでいた。ああいまやどこもかしこも中国人なのだ。(それでも日本人はEU域内シェンゲン協定加盟国に入国する場合無査証90日まで入国可、中国人はビザOn Arrivalという許可が要るらしい)

 

4)北欧フィンランド人は、性格が暗く内向的で下を向いている人が多いと聞いたが、みんな優しく親切、という印象を受けた。大酒を飲んでバカ騒ぎをしているパタヤーにはみられない傾向である。

公園のカフェで寛ぐフィンランド人

5)英語教育がしっかりしているのか、フィンランド人は日本人から見ても完璧な英語を話すように見受けられた。こちらもタイとはまったく違う。国家が英語教育を重要視し、かつ実行しているからであろう。

ほとんどどこの店でも英語が通じる

6)公園や広場が美しく整備されており、摘みたくなるような花が一杯咲いていた。パタヤーには公園というものは存在しないに近く、雑草が花を咲かせている。フィンランドは税金は高いか、正しく使われているのだろう。パタヤーのように無駄に信号を増やしたりはしない。

パタヤー沈没組に生きる道はあるのか?(パタヤーなんてずーっと居る街じゃない)

あまりに侮蔑的な内容なので許してください!

と思ったが、このところ強く思うことがあったので思い切って書かせていただいた 

ずーっとパタヤーでバカンスしてるんじゃない!

パタヤーなんて長く居る街ではない

急な山を登りつめて頂上に腰をおろす旅人は、
ほっと一息いれるのが限りない喜びであるが、
もし永久にそうやって休息していろと無理じいされたら、
彼は幸福であるだろうか。

─ スタンダール ─ (『赤と黒』)

人の生き方、さまざまで、どんな風に生きてもいいのかもしれない

それこそ他人の人生に、口出しなんてできないものだが

 

きょうはあえて言わせてもらう

 

 

私(ひでき)自身を含め、正式な意味で、いわゆるリタイア年齢に達していないにも関わらず、パタヤーに長居している人間は多い、日本人も多い、特に男性である

 

パタヤーにおける長居とは、長患いのことであり、それが本来の病気ならまだ回復の見込みもあるのに、この病気にかかると治る手立てもなく、ただ漠然と日々を過ごすようになるのである

 

 

私はこれらの人々を【パタヤー沈没組】と呼んでいる

 

 

なぜ沈没かというと、文字通り、沈没するとは、船が海の底に沈むことであり

もう浮かんでくることが不可能な状態を言うのである

 

 

人間に当てはめれば、再起不能、精神が大きく損傷し、現実社会に復帰することができず、ずっと埋もれたままの人間

エンジン(動力源)が故障(破壊されて)してしまっているので、前へ進むこともできない

そんなどうしようもない状態にある人間を言うのである

 

 

沈没組とは特に30代後半から40代後半にかけての世代である

 

要するに働き盛りの年齢層である

 

 

学校を卒業して社会に入り、社会人をひと通り経験した人間なら、誰でもひと休みしたい、とは思うものだ

(それはわかる!いまの日本、閉塞感がいっぱいだものな、息苦しいと感じるのもわかる)

 

 

 

そんなとき「タイにでも行こうかな・・・」と考え、うっかりタイへ足を踏み入れてしてしまったのが運のつきというもの

 

たまたま訪れたパタヤーにハマってしまい、気がついたときにはリピーターになっていた、というのがよく聞くきっかけのストーリーである

 

 

 

リピーターになった、というと聞こえは良いが、要するに中毒になったのである

 

パタヤー中毒とは、それなしでは生きられない、という依存症のことであり、立派な心の病気である

 

 

いわゆる食欲や睡眠欲などの生理的欲求とちがい

それを止めたからといって死んでしまうわけではない

 

だが、たった数か月あるいは数週間、このパタヤーという麻薬から離れていると

禁断症状が出始め、居てもたっても居られなくなるのである

 

 

 

良識ある社会人は、それでもなんとか己を奮い立たせ

理性を総動員させて、この中毒症状を断ち切り、なんとかまともな社会人に戻ろうと日本へ帰ってゆく

だが、沈没組はそれでもタイに居続けるのだ

 

めでたく日本に戻れた社会人でさえ、パタヤーを恋しく思うらしい

 

 

そういう人は帰国後、2週間もしないうちに、あのパタヤーでの、怪しくも輝いていた時間を思い出したりする、のである

 

これを読んでいる読者がそのような気持ちに共感できるなら

タイ病の兆候があると言えよう

 

でも、あなたが日本に暮らしているのなら

まだ、沈没組ではない

 

あなたの経済的基盤は、日本にあるからだ